世界最速にあこがれた少年
1970年のハーレーダビッドソンによる世界速度記録更新・・・時速265.492マイル(410.37lm/h)は、ワークスチームの責任者のディック・オブライエンが、ワークスライダーとして当時活躍していたカル・レイボーンを起用して成し得た偉業でした。
しかしこのハーレーダビッドソンの栄光は、ひとりの外部の男の力なしにはつかみ取ることができませんでした。その男とは当時24歳で、独学でストリームライナー作りに励んでいたデニス・マニングです。
マニングが速度記録の世界に魅了されたのは、彼が13歳のときでした。エンジンを4機積む4輪ストリームライナー「チャレンジャー」に乗るミッキー・トンプソンがそのときの彼のヒーローであり、多くのティーンエイジャーがメジャーリーグ選手にあこがれるなか、彼は"ミッキー・トンプソンになりたい"と強く願っていたのです。
その後、ロードレースやドラッグレースを経て、マニングは彼のガレージで最初のストリームライナー(無改造のハーレーダビッドソン・スポーツスター用エンジン搭載)を製作します。そして自身の手でユタ州ボンネビルの塩湖を走り、ワンウェイの記録で時速187マイル(300.947km/h)を残しました。
マニングの"作品"に興味を示したD.オブライエンは、彼をスカウトしました。しかしそれはストリームライナー製作者としてのマニングの腕前を評価したものであり、オブライエンはロードレーサーとして活躍していたC.レイボーンをライダーに起用するつもりだったのです。
レイボーンは万人が認める名ライダーですが、そのときの彼にはストリームライナーの操縦の経験は皆無でした・・・。ライダーとしても世界最速になることを夢見ていたマニングは、オブライエンの判断には葛藤を覚えたことでしょう。しかし当時24歳の新婚だったマニングは、ハーレーダビッドソンのワークスチームからのオファーという大チャンスを逃してはならないと、チームに加わることを決意するのです。
1970年、そして2006 & 2009年にも世界最速車の製作者という栄に浴する
マニングは自身の工房内で、自分より5インチ(12.7センチ)背が低いレイボーンに合わせたコクピット改修などのストリームライナーの改良に取り組みました。搭載されるスポーツスター用エンジンは、ワーナー・ライリーとジョージ・スミスが手がけた"ゴジラ"エンジンと呼ばれるもので、89cu.in.≒1458.45ccの排気量を持つモンスターエンジンでした。
70%ニトロメタンの特製燃料を積んだストリームライナーは、1970年のボンネビルで見事記録更新に成功! 扱いになれず試走では幾度か転倒を喫したレイボーンも、このときは完全にストリームライナーの操縦方法をマスターしていました。
この1970年の大記録ののちも、マニングはその情熱を衰えさせることなく速度記録に挑み続けました。2006年には、自身の運営するエキゾーストパイプ製造会社"BUBエンタープライズ"で製造したV型4気筒2,997cc+ターボチャージャー搭載の"BUBセブン・ストリームライナー"でボンネビルに参加。AMAグランドナショナル王者のクリス・カーを起用し、時速350.884マイル(564.693km/h)を樹立。一度この記録は2008年に破られますが、再び2009年にはC.カーとともに最速の座を奪還しました。
その功績から、2006年にAMAの殿堂入りをしたマニングの原点といえる、1970年の挑戦の模様をおさめたビデオが、ハーレーダビッドソンのYouTubeチャンネルで公開されています。世界最速を追い求めた男の夢を、この動画から感じてください。