連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。今回は「レストアって楽しいもんです」というお話です。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

旧いホンダ車を持つのは楽しい。

良好なコンディションを保っていれば言うことなし。

新車からずっと……という人がいる一方で、絶版になってから「欲しい!」となる人も。その場合、高価で極上の中古車を手に入れれば手間は省ける。が、格安で手に入れてコツコツとレストアしていくという楽しみもある。かく言う私はその手合いである。

初めてレストアしたのがホンダZ、それも最終型ハードトップのGSSである。

新車時に欲しかったモデルだっただけに、知り合いが手放すと聞き即購入する(当然ながら破格で)。コンディションは良好。ただしボディカラーは好みではないグリーンだった。「Zはやっぱりオレンジでしょう」と思っていた私はためらわずオールペン(全塗装)を決意。

千葉県にある知り合いのK板金に持ち込む。そこで「どうせパーツを外すんだからレストアしちゃおうよ」と勧められる。1980年代半ばだったため、まだ純正パーツが入手可能だった。そこでダンパーからウエザーストリップまでごそっと注文。

待つこと2ヵ月。

久々に対面した我がZの姿に改めて惚れ直した次第。自宅までの帰途はダンパーを新品にしたせいで走りは快適に、ゴム類も新品にしたのでドアの締まりも良くなっていた。そう、新車に限りなく近づいたのである。「これって楽しいな」となり、以来レストアの虜となる。

ホンダのシビックイベントにも出場したシビックRSの思い出

シビックRSのレストアは思い出深い。手に入れたのは1992年3月頃、色はグリーン。当時、モーターマガジンの編集部員の私はホンダ担当だった。

ホンダ広報にシビックRS入手を伝えると「夏にシビック20周年を予定しています。栃木(ホンダ研究所)で直しませんか」とのこと。私は小躍りして喜んだ……が、5月頃、栃木ワークスでのレストアは残念ながら頓挫する。でも「20周年のイベントには出して!」とのオファー。急遽、K板金にシビックを持ち込み期日(確か7月)までのレストアを依頼。ボディはレッドを注文する。

ところがK板金は仕事がたて混んでいて「間に合わないかも!」と泣きが入る。こちらは「そこを何とか!」とプッシュ。箱根での20周年イベント前日の午後K板金を訪れると、そこには塗装が済んだばかりのドンガラ姿のシビックがあった。ガラスからドア、シートまでも周囲に置かれた状態。まだ仕上がっていなかった。翌朝8時には箱根のホテルに持ち込む約束だから20時間を切っている。

社長しかいなかったので私と2人で必死にパーツの装着作業に掛かる。ひと通り作業を終えたら夜の8時。夕食も取らず横浜の自宅にすっ飛んで帰って、洗車を終えたら日が変わっていた。翌朝6時出で何とか会場の箱根のホテルへ……滑り込みセーフだった。何とか間に合いホッと安堵した次第。

その後、我がシビックは箱根での20周年記念試乗会に供せられた後、青山のホンダ本社前をはじめ3カ月にわたって日本全国を行脚。で、イベント終了後、クルマの返却と共にホンダからのお礼が……それはシビックRS用の純正鉄チンホイール4本なのであった。

シビック以降のレストアよもやま話は次回に続きます!

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ホンダ PGM-FIって?レースの歴史も振り返ってみよう【ホンダ偏愛主義vol.38】

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