90歳を過ぎた名探偵ホームズの悔いとは
本作は、ある事件での失敗を苦にして引退し、ロンドンを離れて田舎暮らしをしている名探偵が、徐々に老衰のためにその驚異的な記憶力や洞察力を失いつつある(つまりボケていく)という、斬新な設定となっている。
天才的な頭脳の持ち主が、その頭脳の衰えを日々実感し、なんとかそれを遅らせようと努力するが(ロイヤルゼリーを飲んだり、山椒を煎じて飲んだり・・)、どうにもならずに焦る様は、見ていて切なくなる。その苦しみは常人とは比較にならないほど深く辛いものに違いない。
老ホームズは、自分の記憶が全て失われる前に、なんとかして自分が引退するキッカケとなった最後の事件の記録を残しておきたいと考えるが、思い出そうともがいてもどんどん消えていく記憶に絶望に追い込まれていく。
果たして自ら失敗したと深く責任を感じざるを得なかった事件とはどのようなものだったのか、そして、ホームズは老いに抗って記憶を蘇らせることができるのか。
孤高の天才が最後に得たものとは
本作ではホームズの数多くの事件簿の記録者であるワトソン博士は登場しない。シャーロック・ホームズをして、自分よりも賢いと言わせる実の兄マイクロフトもいない。2人ともとうにこの世を去っている。
一生妻帯せず、孤独を貫き通してきたシャーロック・ホームズにとって、ワトソン博士もマイクロフトもいない世界では、頼ることができるのは他ならぬ自分しかいない。逆にいうと彼は人に頼るということをひどく苦手にして生きてきた。
しかし、頭脳の冴えが日々失われていく恐怖の中で、彼は初めて積極的に人に頼ることを学ぶ。本作は、ホームズが深い後悔と罪悪感を抱く事件とはいったいどんなものなのかを探るとともに、人生の黄昏にあって、人間は誰しも最後は1人で生きていくよりも誰か頼るべき人がいたほうがいい、という単純な真実を、淡々とした演出の抑えた演技で描き出してくれているのである。