戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は2001年、250ccクラス年間最多勝を記録してタイトルを得た、加藤大治郎を取り上げます!
天才少年として、その名を轟かせる!
1976年7月4日に、埼玉県浦和市に生まれた加藤大治郎は、3歳のときに両親にポケバイを買ってもらいました。ポケバイに乗って初めてレースに出場したのは5歳のとき。地元の埼玉のミニバイクコース、秋ヶ瀬サーキットで、武田雄一、亀谷長純、阿部典史ら、のちにロードレース界で活躍するライバルたちと切磋琢磨し、その腕前を磨きました。
ポケバイを卒業してからはミニバイク・・・そして1992年からは本格的なロードレースデビューを果たし、1993年からは熊本の名門チームである「Team高武」に加入します。そして九州選手権などで大活躍した大治郎は、1994年に2階級特別昇格により国際A級ライセンスを取得。同年より全日本ロードレース選手権250ccクラスに参戦することになりました。
参戦初年度に1勝をあげた活躍(ランキング7位)が認められ、1995年は型落ちながらワークスマシンのホンダNSR250を得た大治郎は、2勝(ランキング5位)と着実にステップアップをしました。翌1996年は初のGP参戦となる日本GPで3位に入り、初参戦初表彰台という快挙を達成。全日本選手権250ccクラスでは4勝を記録し、ランキング2位とチャンピオンまであと一歩まで進みました。
1997年には、スポット参戦の日本GPでなんと優勝という偉業を成し遂げ、全日本選手権250ccクラスでも8勝で念願のタイトルを獲得しました。1998年はマシン開発の不振もあり全日本ではランキング8位に低迷しますが、スポット参戦の日本GPでは前年に引き続き250ccクラスで優勝! 当時は多くの日本人ライダーが世界GPで活躍していた時代でしたが、大治郎のポテンシャルの高さは、世界中のファンに注目されることになりました。
250ccクラスで最多勝を記録!
4勝しつつも僅差でタイトルを逃した1999年の全日本を最後に、2000年からはいよいよ世界GPのフル参戦を開始します。フル参戦初年度は250ccクラスで4勝を記録し、ランキング3位という立派な成績を残してルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。また鈴鹿8耐でも、先輩の宇川徹と組んで初優勝を達成しました!
そして2001年、元GP250ccクラス王者の原田哲也(アプリリア)との一騎打ちとなったシーズンで、大治郎は11勝を記録! 見事初タイトルを獲得し、文部科学大臣より中嶋悟に次ぐモータースポーツ界で2人目となる、「スポーツ功労者」の顕彰を受ける栄誉に浴しました。
2002年からはホンダNSR500に乗り、この年から成立したMotoGPクラスに参戦。4ストローク優位がシーズン中には明白となった初年度のMotoGPクラスでしたが、大治郎は第3戦スペインGPで2位表彰台を獲得。第10戦からは4ストロークのホンダRC211Vが与えられ、再び2位表彰台をこのレースで得ました。
2002年度、初戦の日本GPからRC211Vで走ることになった大治郎を、チャンピオン候補にあげる人は少なからずいました。RC211Vを乗りこなすべく肉体改造に励んだ大治郎が、王者バレンティーノ・ロッシ(ホンダ)を相手にどのような戦いをするのか・・・多くの人がそれを見ることを楽しみにしていましたが、残念ながら彼は鈴鹿での決勝の事故が原因で、4月20日に帰らぬ人となってしまいました・・・。
常にホンダライダーとして世界GPを戦った加藤大治郎の戦績は、通算出場回数53回、優勝回数17回、そして表彰台に登壇したのは27回・・・となります。