戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回はなんと! ホンダ車に乗りシーズン未勝利で唯一タイトルを獲得した・・・という珍記録を持つライダーを紹介します!

ホンダRS125R同士の戦い!!

1973年生まれのアルサモラは、80ccクラスでロードレースキャリアをスタートさせています。そして16歳だった1989年、カタルーニャ選手権で見事80ccクラスのタイトルを獲得しています。GPデビューは1994年で、同年は125ccクラス年間ランキング22位という結果でした。

翌1995年、第12戦アルゼンチン125ccクラスで初優勝をするなどの活躍をしたアルサモラは、年間ランキング3位まで一気に浮上! 1996年は第7戦オランダGP125ccクラスで優勝し、年間4位を得ています。

アルサモラは1997年に250ccクラスにステップアップするも、シングルフィニッシュは開幕戦マレーシアGPの7位のみで年間17位。1998年はホンダを離れ、アプリリアで125ccクラスに参戦するもシングルフィニッシュは第9戦ドイツGPの5位が唯一の年間21位と低迷。このころは、彼が翌1999年125cc王者になると予想したものは、おそらく皆無だったかもしれません・・・。

1999年、この年の125ccクラスの王座を競うことになったのは、再びホンダRS125Rユーザーとなったアルサモラと、1982年生まれのイタリアンライダー・・・同じくRS125Rに乗るマルコ・メランドリでした。当時、メランドリはフル参戦は2年目で、前年度ランキング3位という有望の若手。一方アルサモラは、4年間の125ccクラスの参戦で通算2勝・・・でした。

1992年GP125ccクラスをホンダRS125Rで戦ったE.アルサモラ。

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わずか1点差で獲得したタイトル!

1999年のシーズン序盤は開幕3連勝と、日本の東雅雄(ホンダ)が大活躍! 続く4、5戦はアプリリアのロベルト・ロカテリが優勝。第6戦はアプリリアのアルノー・ヴァンサンが優勝します。しかし第7、8戦は東が勝利し、早くもシーズン5勝目を記録しました。

シーズン中盤の第9戦からは、メランドリが強さを発揮! 第9〜11戦まで3連勝を記録します。一方東は第10戦で、フリー走行時にコース上の鹿に激突!! という不運に見舞われ、以降調子を落としてしまい復調することなくランキング3位でシーズンを終えました・・・。

その後メランドリは第13戦、そして最終戦でも勝ち星を積み上げ・・・見事シーズン通算5勝をマークします。だが、メランドリは最終戦で2位に入ったアルサモラに、わずか1ポイント差でタイトルを奪われることになるのです・・・(アルサモラ227点、メランドリ226点)。

最終戦までもつれたタイトル争いを制し、車上で喜ぶE.アルサモラ(左)。

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アルサモラが稼いだ227点の内訳は、2位5回、3位5回、4位2回、6位2回、15位1回。リタイアは、第14戦南アフリカGPのわずか1回でした。長いMotoGP(世界ロードレースGP)の歴史で唯一無二の「未勝利でのタイトル獲得」は、チャンピオンシップ争いには「安定感」が一番大事である、ということをアルサモラは、多くの人に教えてくれたと言えるでしょう。

翌2000年は125ccクラスでキャリア初のシーズン2勝を記録するも、年間ランキング3位で防衛に失敗。2001、2002年はともに125ccクラス年間ランキング7位。そして2003年はデルビで125ccクラスを走るものの、年間ランキングは31位まで後退・・・そしてこの年が、アルサモラのGPキャリアの最終年となりました。

アルサモラのGP通算4勝は、すべてホンダRS125Rで記録したものになりました。なおアルサモラは引退後は、現在MotoGPの最強王者に君臨するマルク・マルケス(ホンダ)の師匠として知られるようになります。2004年に同郷リェイダ県出身のアルサモラと出会った11歳のマルケス少年は、アルサモラのチームですくすくと一流ロードレーサーとして育ち(中略?)、今に至っているわけです。