戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は250ccクラス、500ccクラス、そしてMotoGPクラスでホンダに乗り活躍した「ローマの皇帝」、マックス・ビアッジです!

1993年にホンダに初加入!

1971年にイタリア、ローマに生まれたビアッジは、GP250ccクラスで4度チャンピオンとなった英雄です。そしてGP引退後はSBK(世界スーパーバイク選手権)に転向し、2010年と2012年にアプリリアでチャンピオンになっています。伝統的に英米豪と英語圏のライダーがチャンピオンになることが多いSBKで、ビアッジは1990年のレイモン・ロッシュ(フランス)以来の欧州人のSBK王者となり、当時大いに話題となりました。

ビアッジはサッカーに夢中な少年時代を過ごしましたが、17歳の誕生日にモーターサイクルをもらったことをきっかけにレースに興味を持ち、18歳でレースに出場するようになります。そして早くも才能を開花させ、1990年にイタリアのスポーツプロダクションレースで王者となったビアッジは、翌1991年から125ccより250ccへ階級を上げることにしました。

1991年、アプリリアRS250に乗り欧州選手権250ccクラスで年間2位になったビアッジは、同年世界GP250ccクラスにも4戦エントリー。1992年からはフル参戦し、南アフリカGPで自身初のGP勝利を記録。年間ランキング5位という成績をおさめました。

1993年、ホンダNSR250に乗り、原田哲也(ヤマハTZ250M、写真中央)、ロリス・レジアーニ(アプリリアRSV250、写真左)の前を走るM.ビアッジ(写真右)。

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1993年、ビアッジはアプリリアからロスマンズ・カネモト・ホンダに移籍し、初めてホンダ陣営のライダーとなりました。この年、ヨーロッパGPで優勝するなどの活躍でビアッジは年間4位となりますが、翌1994年からは再びアプリリアのライダーとして250ccクラスを戦うことになります。

250ccクラス4連覇の最後をホンダで飾る!!

ロータリーディスクバルブという、日本のメーカーがある意味見捨てていた吸入方式を採用するアプリリアRSV250のファクトリーマシンを1994年から得たビアッジは、3年間王座を独占することに成功します。1994年は5勝、1995年は8勝、1996年は9勝と、いずれの年もクラス最多勝で並み居るライバルを退けたビアッジは、ローマの皇帝の異名にふさわしい強さを見せつけました。

そんな絶頂期にあったビアッジですが、1997年はなんとホンダと契約することを選びました。この背景には、アプリリアRSV250ではなくホンダNSR250に乗っても勝てるという、自分の実力の証明への強い意思がありました。

1997年、アプリリアからホンダNSR250にマテリアルスイッチしたM.ビアッジ。

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そんな覚悟で挑んだ1997年は、勝ち星こそ5勝と減少しましたが最多勝の地位は守り、そして見事自身4度目の250ccクラスタイトルを防衛しました! 異なるメーカーのマシンに乗り換えてGPタイトルを獲得できるライダーは、ロードレースの歴史の中でも限られた存在です。その点でビアッジは、レジェンドライダーにふさわしい男のひとりであり、そのことに異論を挟む人はいないでしょう。

残念ながら最高峰は無冠に終わる・・・

最高峰500ccクラスに転向した1998年、開幕戦日本GPでのクラスデビューウィン含む2勝をあげたビアッジは、年間2位となり多くの人を驚かせました。しかし、この年を限りにビアッジはホンダを離れ、1999年からはYZR500を駆るヤマハのライダーになりました。ヤマハとの関係はMotoGP初年度の2002年まで続きますが、2003年からは再びホンダ陣営に入り、2005年まで走り続けることになります。

2005年アメリカGP(ラグナセカ)で、V.ロッシ(ヤマハ、左)と競うM.ビアッジ(右)。

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最高峰に昇格した1998年から2004年までビアッジは毎年GP勝利を記録し、年間2、4、3、2、2、3、3位という成績をおさめてきました。そして、ついに勝利記録が途絶え年間5位に甘んじることになった2005年を限りに、ビアッジはGPから去ることになりました。

250ccクラス6勝、500ccクラス2勝、MotoGPクラス3勝・・・合計11勝。それがGP通算勝利数42を積み上げた偉大なビアッジが、ホンダ車で記録した勝利のすべてです。