連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。ホンダ偏愛主義Vol.24は、ホンダが元気だった頃の縦置き直列5気筒エンジンのお話です!(デジタル編集:A Little Honda編集部)

2Lの直列5気筒SOHCエンジンを35度傾けて縦置きしアウトプットは後方からいったん前に出す。エンジン横に配したデフを介し、ドライブシャフトは何とエンジン下部のオイルパンを貫通させていたのである。

つまり、フロントアクスルはエンジンの真下にあったのだ。ホンダはフロントミッドシップと称していたが、そのとおり前後荷重は60対40とFFとしては秀逸なスペックを実現していた。さらに前輪を前方へ追いやることで安定したプロポーションと長いホイールベースを手にしていたのだ。

インスパイアの発表直後に開かれた1989年の東京モーターショーでのこと。当時モーターマガジン誌の副編集長だった私に編集長から指令が……。「明日、アウディの会長、フェルディナント・ピエヒ氏が会場に来る。ホンダの5気筒モデルに乗りたいそうだ。手配よろしく」と。さっそくホンダ広報に連絡するもスケジュールは予約で満杯だった。よくよく聞けば評論家S氏が1台押さえていたのだ。S氏知らぬ仲ではないので説得して何とかインスパイアをゲットする。

翌日、ショー会場でピエヒ氏に会い駐車場へ案内。ピエヒ氏はインスパイアの外観は一瞥しただけで運転席へ。エンジンを掛けアイドリングに耳を澄ます。「わずかに振動が出てる」と。ピエヒ氏は右ハンドルに戸惑いながらも周辺道路へ、加減速を何度か繰り返して戻る。そして「回転はスムーズだし、振動もよく抑え込んでる。ホンダはいい仕事をした」と語る。

最後に私はこう聞いたのだ。「5気筒は必要ですか?」を問う。

するとピエヒ氏はニヤッと笑って「6気筒の方が良いに決まってるだろう。5気筒はエンジニアの意地だよ」と。この時、1-2-4-5-3と爆発する5気筒の存在意義に納得したのだった。