連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第21回はフルオープントラック「バモス ホンダ」です!(デジタル編集:A Little Honda編集部)

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当時としては珍しいオープン軽トラック「バモスホンダ」

これは、先日のN-VANのデビューで消えてしまったホンダバモスのことではありません。「バモスホンダ」です。数あるホンダ車の中にあって車名が先に来るのは、実はこのモデルだけなのです。バモス(vamos)はスペイン語で英語のレッツゴー(let’s go)の意。

バモスホンダは1970年11月、当時としても珍しいオープン軽トラックとして登場している。トラックだから荷台は当然オープン。その荷台にはぐるりと荷物落下防止のガードバーが備わっていた。ただしそれだけじゃない、バモスホンダは、ドアも含めてオープンだったのだ。当然ウインドウはなし。当時、(当時の)運輸省は安全上ドアの装着を求めた。が、オープンにこだわったホンダは、左右のバーをカチッと繋げることでドアの代用として申請。結局、それが認められてこのスタイリングが実現したってワケである。

スラントしたフロントノーズには突き出たヘッドライト、センターにはスペアタイヤをを収めるユニークなデザイン。スペアタイヤは安全のためと言っていたが、それならドアは付けたはず……。細かなことは置いといてもロールバー(乗員保護用ガードパイプと呼んだ)を備えていたことは評価すべきだろう。まあ、これがないと運輸省に認可されなかっただろうけど。フロントのバンパーにはオーバーライダーを備え、当時人気だったオートバイのハンターカブ並みのタフネスさを演出していた。

レジャーユースを狙ったかと言えば「さにあらず」。目的は牧場や工事現場での使用だった。時に牧草を載せ、時に作業員を乗せ、時に資材を載せることが主な役割だった。「似たようなクルマがあったな」と思ったあなたは鋭い。そう、64年8月に登場したミニモークである。FFのミニをベースにドアなし4座フルオープンとしたものだった。が、あちらは軍用目的で作られたものの、軍用としては合格点をもらえず採用には至らずじまい。そんな経緯はともかくとして、どっちも結果、レジャーユースとなったことは共通している。

タイプは3つあった。2人乗りのバモス2、4人乗りのバモス4、そして4人乗りでフル幌としたもの。

その幌はと言うとルーフとバック部のみで、雨天に対応すべくオプションでサイドカバーを用意していた。シートやインパネは防水&防塵対策が施されてはいたものの、カリフォルニアとは異なり雨の多い日本のこと、メインが4人乗りフル幌だったのは納得である。

ちなみに最大積載量は2人乗りで350kg、4人乗りで200kgだった。

ベースとなったのは当時のTN360。だからN360と同じ空冷2気筒SOHCの30psをミッドシップとし、リアを駆動していた。ブレーキは前後ドラムでトランスミッションは4速MT。車重は540kgとオープンの割に重く、ローギアードだったため最高速は90km/hに留まっていた。が、現場で使うには十分なスペック。キーを抜けば自動的にハンドルロックされる機構や、キー付きグローブボックスなどを備えオープン対策はバッチリだった。

快適に走れたのは爽やかに晴れた春と秋の日ぐらい。今では絶対あり得ないユニークなオープン軽トラック、それがバモスホンダなのだ。

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