年間100本以上の映画を鑑賞する筆者が独自視点で今からでも・今だからこそ観るべき映画を紹介。今回の100分の1の映画は、20世紀初頭のフランスに実在した”白人道化師フティットと黒人道化師ショコラ”の華やかな活躍と没落を描いた『ショコラ〜君がいて、僕がいる〜』。

フランス史上初めて成功した黒人芸人ショコラの華やかな成功と惨めな転落

フランス史上初めての黒人芸人となったショコラを演じるのは『最強のふたり』で大ブレイクした黒人俳優のオマール・シー 。彼の才能を見出し、相方に据える白人芸人フティットを演じるのはジェームス・ティエレ(なんと喜劇王チャップリンの孫とのこと)。

フティットと組んで道化師として活躍することで、ショコラは確かに人気と大金を得るが、ギャラの3分の2は相棒のフティットが持っていくし、観客が大喜びするのは黒人である自分が白人であるフティットに尻を蹴り飛ばされたり平手打ちをされるさまを観られるからであることを知っている。法の下では白人と黒人は平等のはずだが、実際には20世紀初頭のフランスは白人専横社会であり、有色人種は下等な存在のままなのだ。

だから動物並みの扱いを受けていたどん底の暮らしから抜け出せたことを幸せに思いはするが、どこかやるせない思いを抱えている。

貧窮から自分を救い出してくれたのは他ならぬフティットと今の芸風にあることはわかっている。しかし、そのことに強く感謝しながらも、心の底から滲みだしてくる闇を抑えきれないのだ。だから、天性の女好き、ギャンプル好きの彼は、女をとっかえひっかえしつつ、裏カジノにのめり込むようになってしまうのである。

強い友情と信頼を持ちながらも差別的な感情を捨てきれなかったフティットの苦渋

真面目で芸に打ち込むフティットはそんなショコラを心配するが、さりとて彼自身も、白人と黒人のコンビという奇特性があってこその人気、ショコラあっての自分であることに気づいており、心中穏やかではない。
だから相棒であるショコラを大事に思う気持ちこそ真実ながら、どうしてもその友情に素直になれない。ギャラを等分に分けずにいるのも、自分がショコラの上にいる、自分がコンビを仕切っているというポジションを自他共に見せつけたいというボス猿的根性がゆえである。

やがて2人は、愛憎が交わる複雑な感情に耐えきれなくなり、コンビを解消してしまう。

黒人差別、というテーマにおいては、つい我々は米国映画を思い起こしてしまうが、本作はヨーロッパにおいて、そうした差別は実はより陰湿であったこと、そしてガラスの天井や壁の存在に生き方を左右されてしまう黒人たちの苦しみを、1人の黒人道化師の生涯を通じて情感たっぷりに描いてくれている。人間らしく生きていくには金があればいいわけではなく、人としての尊厳を持つことが重要であることを強く認識させてくれる一本である。