小さい頃から変なもの、妖怪と呼ばれるものの類を視てしまう不思議な能力を持つ少年 夏目貴志。同じような能力を持っていたらしい祖母レイコが遺した「友人帳」に名前を記されたことによって呪縛を受ける妖怪たちに、名前を還す日々を送っています。
なぜか夏目の元に居着き、勝手に用心棒を自称するニャンコ先生と共に、少年 夏目貴志が巻き込まれていく摩訶不思議な冒険譚。それが『夏目友人帳』です。
©緑川ゆき/白泉社

2018年10月現在 23巻まで発売中!
丸々とした猫がニャンコ先生

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TVアニメ化・劇場映画化もされている大人気コミック

白泉社の「花とゆめ」に連載の『夏目友人帳』は、緑川ゆき先生の作品です。
テレビ放映や劇場映画化としてアニメ化もされている大人気作品です。

前述のように、妖(あやかし)を、人と区別がつかないくらいハッキリと視てしまう不思議な能力の持ち主、夏目貴志少年が、視るだけでなく妖怪たちを簡単に屈服させてしまうほどの妖力をもっていた祖母レイコが遺した一冊の友人帳を発見することから物語は始まります。

友人帳とは、祖母レイコが妖怪たちに賭け勝負を挑み、負かした妖怪たちの名前を記した帳面なのですが、そのことによって妖怪たちは友人帳に縛られ、どんな命令にでも従わなければならないという呪縛を受けることになります。レイコが友人帳の呪縛を解かないままに他界したことで、これを引き継いだ夏目少年が妖怪たちに名前を返す=呪縛を解く役目を引き受けることになります。

また、この友人帳さえあれば、多くの妖怪を支配できるということになるので、友人帳の存在を知る妖怪たちが友人帳を狙って夏目少年を付け狙います。実はその妖怪の1人(ひとつ?)であった大妖の斑は、彼を縛り付けていた封印を夏目少年が解いてくれたことを恩義に感じ、いつか夏目少年が命を落としたときには友人帳を譲り受けることを条件に、夏目少年の用心棒となります。
斑は招き猫の中に封印されていたため、普段は丸々太った猫の姿に変身しています。そこで彼は自分のことを「ニャンコ先生と呼べ」と命令するのです。

こうして、友人帳の存在や、自身が持つ妖力のためか、夏目少年の周囲には多くの妖しい者たち(正真正銘の妖怪だけでなく、若干妖しい人間たちも)が集まり、さまざまな不可思議な事件を起こしていきます。夏目貴志少年とニャンコ先生の冒険が始まるのです。

「劇場版 夏目友人帳 ~うつせみに結ぶ~」ロングトレーラー

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自分のことを真剣に愛し、心配してくれる存在。その彼らを護りたいという願い。

ニャンコ先生と出会ったころ、夏目少年は藤原夫妻という遠縁の夫婦に引き取られて、比較的穏やかな生活を送っていました。
幼い頃に彼の両親が他界したおかげで、彼は親戚の家に引き取られるのですが、日常的に妖が視えてしまう体質のため、夏目少年は里親からも学校のクラスメートや教師たちからも「嘘つき」「気味が悪い」とそしられ、誰とも馴染めず孤独を余儀なくされます。そのため、次から次へと親戚をたらい回しにされ、心を閉じていくのです。

そんな彼を救ったのが、藤原夫妻でした。なぜ夫婦が夏目少年を引き取る決意をしたのかは、はっきりとはわかりませんが、夏目少年は彼らの温かな厚情を受け入れ、彼らの元で暮らす決心をします。同時に、自分が視えてはならない存在を視てしまうことを藤原夫妻を含めて周囲には絶対秘密にしようと誓うのです。

実はぼくの親は転勤族で、ぼくも幼い頃幾度も転校させられた経験があります。よそ者扱いされたり、周囲とのリズムにうまく合わせることができずに寂しい思いや辛い気分を味わったことが度々あります。だからなのかもしれませんが、夏目少年が心を閉ざしていた気持ちがよくわかる気がするのです。また、藤原夫妻と暮らし始めたことで、学校でも優しい友人たちと出会えた夏目少年は、その幸せを二度と離すまいと心に誓います。夏目少年が藤原夫妻や友人たちに自分の能力を隠すのは、かつて出会った人たちがそうであったように”妖怪が視える”という彼を(信じる信じないは別として)気味悪く思って離れていくだろうと思ってのことではありません。そうではなくて、夏目少年がその能力によって危険な目に遭うことを、藤原夫妻や友人たちが怖れ悲しみ心配するであろうと考えたからです。

自分のことを真剣に愛し、心配してくれる存在。その彼らを護りたい。そんな強い意志が夏目少年の中に生まれていたからなのです。

本作は、様々な妖怪や、決して心を通わせることができない”異なる存在”がたくさんでてきますが、同時に 人か妖怪の区別なく、夏目少年が救いたいと思ったり力になってあげたいと思うような相手もたくさん出てきます。人と妖怪のバディコミックといえば、「うしろの百太郎」や「うしおととら」など素晴らしい作品がたくさんありますが、本作は戦うというか成仏させる、祓う、成敗するといったことがポイントではなく、できてもできなくても 心を通わせようとする想いに重点が置かれた物語です。

読むとほのかに明るく温かい何かが胸に残るので、ぜひ読んでいただきたい素晴らしい作品です。