2018年6月16日〜6月17日に行われたル・マン24時間耐久レースでついに栄冠に輝いたトヨタ。優勝した8号車には2度のF1世界王者、フェルナンド・アロンソが乗っていました。ファンだけでなく関係者、ライバルであるドライバーでさえも、彼を「最強」と呼ぶ人が多いほどアロンソは世界トップドライバーの1人です。ル・マンを制しトリプルクラウンに王手をかけた今だからこそ、アロンソについてご紹介したいと思います。

F1を文化にしたスペインの若き英雄

1990年代、スペインでのモータースポーツはMotoGP(当時はWGP)をはじめとする2輪が盛り上がっていました。4輪といえばWRCで2度の世界チャンピオンに輝き、エル・マタドールと呼ばれたカルロス・サインツの活躍で盛り上がりを見せていましたが、F1はこれまでスペイン人のヒーローが誕生しておらず盛り上がりに欠けていました。そんな"F1不毛の地"スペインに地元のヒーローが現れたのは2001年のこと。それが当時19歳のアロンソでした。

アロンソは、他のマシンに比べ戦力が劣るミナルディのマシンでポテンシャルの高さを見せつけます。翌年2002年はルノーのテストドライバーとして一年を過ごし、2003年にルノーの正ドライバーに昇格。ポールポジション、ファステストラップ、表彰台獲得、優勝、ポールトゥウィンなど当時の最年少記録をどんどん塗り替えていきました。

2005年、大幅なレギュレーション変更があり、これまで圧倒的な強さを誇ったフェラーリ時代の幕が降り、次世代のドライバー達によるチャンピオン争いになりました。その主役がアロンソ、そしてキミ・ライコネン(当時マクラーレン・メルセデス)でした。この年のアロンソとルノーR25のパッケージは高い戦闘力を発揮し、序盤からチャンピオンシップをリードします。純粋なスピードではこの年一番速かったのはライコネンのMP4-20でしたが信頼性が低く序盤戦はアロンソとのポイント差が大きくなりました。しかし中盤から後半にかけて速さを見せますが、序盤の大量リード出来た事と、中盤戦、後半戦もコンスタントにポイントを重ねたアロンソは初のF1ワールドチャンピオンに25歳273日(当時の最年少記録)という若さで輝きました。

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翌年は復活したミハエル・シューマッハとフェラーリを相手に激しいチャンピオン争いを繰り広げ、2年連続チャンピオンに輝きました。F1が開催されていたとはいえ、人気がなかったスペインで自ら道を切り開き、チャンピオンとなり、スペインでF1を一大イベントにしたアロンソ。今のスペインでのF1人気はアロンソの活躍があってこそなのです。

「2年連続F1チャンピオン」アロンソ

F1の頂点に立って以降、アロンソは2018年現在までチャンピオンになれていません。2007年にマクラーレンに移籍するも、当時スーパールーキーだったルイス・ハミルトン、さらにはチームとの確執があり戦闘力のあるマシンに乗るも、非常に苦しい立場となりました。マクラーレンは過去、アイルトン・セナとアラン・プロストの2人を抱え、2人をコントロール出来なかった過去がありますが、アロンソとハミルトンとの場合とはまた違います。セナとプロストはブラジル人とフランス人ですが、ハミルトンはイギリス人でチーム代表だったロン・デニスの秘蔵っ子でした。そしてチャンピオン争いがハミルトン、アロンソ、ライコネンの三つ巴になったこの年、ロン・デニスははっきりと「我々の敵はアロンソ」と公言しました。完全に居場所を失ったアロンソはチャンピオンにはなれず一年でマクラーレンを去ります。(ハミルトンもチャンピオンにはなれずライコネンが初のチャンピオンに輝いた)正直マクラーレンはそのほかにも問題を抱えていましたが、チームがまとまらず、フェラーリにダブルタイトルを奪われました。

古巣ルノー、フェラーリ、そしてマクラーレンに復帰とキャリアを重ねていきますが、戦闘力のあるマシンに恵まれずチャンピオン獲得には至っていません。

しかしそんな厳しい環境だったからこそ、私たちはアロンソの凄さをより思い知らされたのではないかと思います。どんな状況でも諦めない、もの凄い集中力でたった一度のチャンスを必ずモノにするアロンソを、長くチャンピオンになれていなくても人々は彼を「現役最強」と呼ぶのでしょう。

たった一回でもチャンピオンになる事はとてつもない事で、ドライバーの技量を測る一つのものさしになる事は間違いありません。しかしフェルナンド・アロンソを見ていると、ドライバーの価値をチャンピオン獲得回数だけで判断するのは少し違うのかもしれないとそう思ってしまいます。

負けず嫌いの中の負けず嫌い

F1ドライバーに限らずスポーツ選手は負けず嫌いでなければいけません。その中でもアロンソの勝ちに対する執念は他のスポーツ選手と比べても上を行くかもしれません。

「勝つチャンスがあればやる」

この言葉がアロンソの負けず嫌いを表しているのではないでしょうか。近年パフォーマンスに苦しむチームに対し批判的なコメントが多く、アロンソについてよく思っていない方も多いと思います。これは私の勝手な考えですが、彼は2018年現在37歳で、F1でのキャリアの終焉を意識している事でしょう。アロンソには時間がありません。だから開発して時間をかけて強くしていこうという考え方ができないのかもしれません。

強いチーム、速いマシンを望むのはレーシングドライバーとして当たり前の事です。あのセナだってホンダに対し、フジテレビのカメラを見つけて「ホンダよ、もっと努力しろ」と発言したのです。F1ではセナだけでなく歴代のチャンピオン達やシューマッハ、MotoGPではロッシにマルケスとチャンピオンは皆そうです。人になんと言われようが優勝するため、チャンピオンになるためならできる事はなんでもする、世界一をかけて戦うドライバーとはそういう生き物なのです。

しかし、ただわがままなだけではありません。どんな厳しい状況でもアロンソは最後まで闘い抜いてきました。これは武士道に影響を受けたからではないでしょうか。アロンソは日本の武士道が好きなのはF1ファンならご存知だと思います。2011年シーズンの終わりに妹に「葉隠」という武士の心得について書かれた書物を受け取った事がきっかけでした。ちょうどフェラーリ時代で戦闘力の劣るマシンでチャンピオン争いをしていた頃ですね。アロンソが決して最後まで諦めない人だとわかるエピソードが私が敬愛する尾張正博氏の著書「F1全戦取材」に書かれていますのでご紹介します。場面は2012年のUSGPでのこと。

私が話をしたのは、土曜日の夕方だった。直前に行われた予選でのアロンソの順位は9位。選手権で10点リードしているライバルのベッテルはポールポジションを獲得していた。残りは2戦しかなく、もしそのままの順位(ベッテルが優勝して25点を加算し、アロンソが7位で6点)でレースが終了すれば、最終戦を待たずしてベッテルの3連覇が決定する。私は目の前で話すアロンソを見て正直、「もうタイトルは諦めたのかな」と思っていた。そこで私が葉隠に一節を引用して、「ついに腕も肩も失ったね」と言うと、アロンソはニヤッと笑った後、口を縦に開いて自分の歯を見せるのである。そう、「腕や肩を切り落とされても、歯を使って闘い続ける」というのである。 

出典:「F1全戦取材」(著・尾張正博)

この年もアロンソは最終戦までチャンピオンシップを闘い抜きました。運転技術が高いのは世界中のチャンピオンたちが集まっているわけで、それは当たり前ですが、それ以上に最後まで諦めない気持ちが人一倍強いドライバーだと言えます。

世界三大レースでみせた高い適応能力

アロンソの最終目標、それは世界三大レースを全て制覇することです。F1モナコGPでは2度優勝しているアロンソは2017年はインディ500に、そして今年はル・マン24時間レースに出場しました。この大きなレースでアロンソは私たちに改めて優れたドライバーであるということを証明してくれました。

アロンソがインディ500に参戦した2017年は我らが日本人ドライバー佐藤琢磨が優勝し新たな歴史を作った年でもあります。佐藤もインディ参戦する前にインディのオーバルでの走りを見て、「これは(自分には)できないかもしれない」と思ってしまったほどのカテゴリーでもあります。アロンソはF1にレギュラー参戦している為インディ500だけのスポット参戦。

しかし、いきなり乗って成績を出せるほど簡単なレースではありません。長年インディカーシリーズ一筋で頑張ってきたレーサーでもインディ500で勝てなかったドライバーはたくさんいます。そんな中アロンソはインディカーシリーズのベテラン選手のような走りをみせ、いきなりファスト9に進出、なんと予選を5位で終えます。決勝ではエンジントラブルでリタイアしてしまいましたが、一時ラップリーダーとしてレースをリードする活躍でした。(もちろんレースにたらればはありませんが)正直トラブルがなければアロンソが勝っていたのかもしれませんね。

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そして2018年のル・マン24時間レース。今年アロンソは優勝できましたが、このレースも簡単に優勝できるものではありません。F1では体験することのない長いスティントや夜間走行、そして慣れないマシンへの順応など乗り越えなければいけない課題が山のようにあります。しかしここでもアロンソは見事にマシンをものにしました。

トヨタのチームメイト、ホセ・マリア・ロペスはWTCCに参戦した3年間を完全制圧、3年連続チャンピオンに輝くなど素晴らしい経歴のあるドライバーです。しかし彼のようなドライバーでもLMP1を乗りこなすのに時間がかかりました。しかしアロンソはテストや開幕戦のスパ6時間耐久でも素晴らしいポテンシャルを発揮します。そして圧巻だったのはル・マンで担当した夜のスティント。コンスタントに速いラップで夜を走り抜けたアロンソをみて、改めて彼のすごさを思い知らされました。そして参戦初年度で優勝を果たしました。その裏でアロンソはチームに馴染もうと積極的にコミュニケーションをとり、チームの一員として努力していたそうです。クルマやチームに恵まれたのもありますし、それを批判的に言う人もいます。ただそれだけでは到底優勝などできません。しかしアロンソはちゃんと「優勝」したのです。

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常にプレッシャーと戦うトップアスリートはよく言動などで叩かれたりします。しかしそうなってしまうのかもしれません。私たちはインタビューに答えている姿でその人のことを判断してしまいます。それはそこしか判断できないのでしょうがない部分です。しかしそれが彼らの本当の顔なのかはわかりませんよね。

4度のF1世界チャンピオン、アラン・プロストは現役時代目立つチャリティーは避けてきました。しかし引退した1993年に地元フランスにあるユーロディズニーランドに6500人の子供たちを招待しました。同じく1993年の最終戦オーストラリアGPで長年敵対してきたセナとプロストが表彰台で握手し和解しました。これもF1という厳しい世界から解放されたからこそ素の部分が出せたのだと思います。

表現が正しいかはわかりませんが、私はあの時プロストが普通の人間に戻っていくような感じがしました。常にプレッシャーの中闘い、世界中から言動をチェックされるなどストレスのかかる世界では「良い人」もしくは「本当の自分」が出せないのかもしれません。アロンソだけではなく、どのドライバーもそうです。最近アロンソに対する批判的なコメントをよく目にします。確かにうーんと思ってしまう言葉もありますが、それは全て「勝つ」ために発せられた言葉なのでしょう。ただ2011年に被災した日本に対してコメントを寄せてくれたり、ファンサービスが設けられた場所では本当にジェントルマンです。ただ勝負に対しては一切妥協しない、それが「勝負師」フェルナンド・アロンソなのです。