1962年の市販レーサー、CRシリーズ
前回(第8回)で1997年発売のDOHC4バルブ機構を搭載する50ccモデル・・・ドリーム50のこと、そしてそれの元ネタになった市販レーサーである1962年のCR110のことにちょっと触れました。
ほかの1962年製CRレーサーに比べ、CR110はファクトリーマシン(RC110)に近似した構造・諸元が与えられていました。国内外のロードレースで活躍した名機であるCR110は、今ではコレクターズアイテム化したため非常に高価な値段で取引されております・・・。
名機、ホンダ カブレーシングCR110の後継機種!?
さて、CR110が発売された1962年の世界ロードレースGPでは、新たに欧州選手権から格上げするかたちで50ccクラスが創設されました。ホンダは4ストローク単気筒のRC110などで、新ジャンルの覇権奪取を狙いましたが、同じ日本のスズキや、独クライドラーの2ストローク単気筒レーサーが強く、この年参戦した350、250、125、50ccの4クラスで唯一タイトルを取り逃がしてしまいます(初年度王者はスズキRM62に乗る、エルンスト・デグナーでした)。
ライバルメーカーの2ストローク単気筒レーサーはホンダ製4ストローク単気筒レーサーに対し、構成部品の少なさ、フリクションロスの少なさ、排気量あたりの出力を得やすい・・・などなどの利点がありました。そこでホンダは2ストロークのライバルに勝つには、まずは多気筒化・・・ということで、単気筒のRC110やRC111に代わる後継機にDOHC2気筒のRC112を開発します。
その後ホンダはRC112の「2気筒路線」で2ストローク単気筒のライバルと戦いますが、最大のライバルであるスズキを打ち負かすのは難しく、1962〜1964年の3年間は雌伏の期間を強いられることになりました。
しかし1965年は、ついにラルフ・ブライアンズがホンダ初の50ccタイトルをラルフ・ブライアンズが獲得。当時ライバルのスズキRK65は水冷2気筒まで進化していましたが、もうひとりのホンダライダーであるルイジ・タベリの活躍もあり、強敵を破ってのライダー/メーカータイトル独占を果たしたのです!
ホンダのモデルコード、プロダクトナンバーの表を見ると、CR110(025)に続く位置にCR112(026)というモデルがあることがわかります・・・。公に登場することのなかったCR112というモデルは、ファクトリーマシンRC110と市販レーサーCR110の近似ぶりから想像するに、1962年「第1回全日本選手権ロードレース大会」に優勝したRC112に近似した、2気筒DOHC2バルブエンジンを搭載! する前代未聞の市販レーサーだったのかもしれません・・・。
この真相を明らかにするには、ホンダの研究所のマイクロフィルム保管庫に盗みに入って、当時の図面のなかから「RC112」のものを探しださないと無理でしょうね・・・(不法侵入・窃盗は犯罪です)。まぁ、いつの日にか、犯罪以外の方法でRC112の真相を明らかにしたいです・・・。
ホンダのモデルコード、プロダクトナンバーの表を見ていると、CR112以外にもいろいろ謎? の機種があることがわかります。その前後の番号・記号の機種とかから、それがどんなモデルだったのか・・・を想像するのはなかなか楽しいです(※個人の感想です?)。