連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第7回は、「ホンダ ビート」。軽自動車初のミッドシップオープン2シーターとして登場した車両です。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

ホンダ ビート

1991年5月15日、新宿のホテルでホンダ ビートの発表会が行われた。ホンダ党の私も当然出席した。そこで本田宗一郎氏の横に並ぶ光栄に預かったのである。当時最高顧問だった本田氏はご病気と聞いていたがかくしゃくとされていた。ビートを前にしてスタッフに「幌だけど雨漏りはするかね?」と声を掛ける。スタッフは「ええ、ちょっとは漏れます」正直に答える。すると「幌だからしょうがねえよな。エス(S500)の時もそうだったよ」と豪快に笑った。それから3カ月後の8月5日、本田氏は帰らぬ人となったのである。

ビートは軽自動車初のミッドシップオープン2シーターとして登場。リアアクスル前に横置きで60度寝かせて搭載したエンジンはトゥデイと共通の660cc版E07A型直3SOHC。これを10.0の高圧縮化とMTRECと呼ぶ3連スロットルによって自然給気ながら軽自動車の上限となる64psを発揮。それも8100回転という高回転でだ。これに5速MTを組み合わせ、760kgの軽量ボディとクイックなステアリングを利してスポーツを実現していた。ブレーキは前後ディスク、タイヤは前13&後14インチで、これも軽自動車初だった。

そのカッコ良さは今のS660以上だと思う。かつてピニンファリーナでチーフを務めたエンリコ・フミア氏にインタビューした際「デザインはウチだよ」と言っていたのをよく覚えている。ホンダが公言していないところをみれば、どこまで関わっていたかは不明。ともかく日本的でなかったのは事実。ピニンファリーナは幌デザインに長けていただけに関わりは濃厚だったと思う。

当時の軽自動車は全長×全高が3.3×1.4m未満と今よりひと回り小さいサイズ規定。ここに2シーターと言うことで、センターコンソールは左に25mmオフセットして運転席優先に。ハンドルは小径の360φで、中央をタコメーターとした独立3連メーターはバイク感覚で仕立てていた。小気味良いシフトのストロークはNSXと同じで、インナーミラーはNSXと共用部品だった。そう、ビートはちっちゃなオープンNSXだったのである。

ビートのカッコ良さに惚れた私だったが、すでに複数台所有している身に購入は厳しかった。4年後の95年に夢が実現する。手持ちを整理し、知り合いの自動車評論家から中古を譲ってもらうことに。4万kmを走行していたがメンテナンスは良好。以降、足まわりやブレーキを強化し、アルミホイールやシートカバーでドレスアップしたりして、20年近くビートを楽しむ。この間、幌を畳んでのオープン走行の爽快感は何物にも代えがたかった。

そして今。3年前にエンジン&トランスミッションをオーバーホールし、ボディを全塗装し、内装パーツをすべて外してクリーニング……新車と同じぐらいお金を掛けてレストア。当然ながらすべてが新車並みと自慢できるコンディション。これは一生物と自負している。

ビートの型式はPP1。ちなみに本格ミッドシップスポーツのNSXはNA1、FRスポーツのS2000はAP1、ミッドシップで復活したホンダZはPA1である。