連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第2回は、「初代シティとモトコンポ」。モトコンポはクルマに積める折りたたみバイク。おもちゃみたいな可愛らしさで、現在でも話題に上がります。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

第1回:「初代シビック」

初代シティとモトコンポ

1981年10月に登場したFF2ボックスのシティは「待ってました!」だった。コンパクトながら「トールボーイ」を謳って天地方向を稼いで十分な室内空間を確保。3サイズは全長×全幅×全高=3380×1570×1470mm。今のホンダの軽自動車、N-ONEの3395×1475×1610mmと大差ない。

むしろトールボーイという割には今見れば低い。極端に短いノーズには1.2Lエンジンがピッチリと収まる。邪魔なウォッシャータンクはフロントフェンダーに内蔵していた。後の「マンマキシマム・メカミニマム」に徹していたのだ。ライフ ステップバンから引き継いだアップライトなドライビングポジションも新鮮だった。

ホンダはさらなるサプライズを用意していた。リアのラゲッジスペースにきっちりと収まるモトコンポなる50ccの折り畳み式バイクである。全長1.2m弱と超コンパクトで車重42kgと超軽量。何しろ畳めば四角い箱に変身するのだから驚き。

例えばサーキットに乗り付けてピットウォークに使う……クルマにバイクを積むなんてことを考えるのはホンダぐらいしかない。それもコンパクトカーに、だ。こうした自由な発想が好きだった。何かしでかしてくれる、そんな期待が当時のホンダのニューモデルには満ちていたのである。

私は、当然ながらシティは即購入。選んだのは赤のRの5速。Rと言ってもノーマルEの63psに対して67psだったから後のタイプRとは程遠いもの。が、前回紹介した初代シビックと大差ない短いホイールベースゆえキビキビした走りは楽しさに満ちていた。後に関係者から「初代シビックの潔さを再現したかった」と聞いて納得。当時はドレスアップがブームで、私もフロントグリルを替え、ルーフエンドにスポイラーを付け、アルミホイールを履いてシティを楽しんだ。

件のモトコンポは欲しかったけど買わず。何しろシティが80万円でモトコンポは8万円。サーキットにはそんなに行かないし、近所回りにはモンキー(これもホンダ!)があったから十分。実際、乗ってみれば実用には「ちょっと怖かった」記憶がある。

このシティはターボだのハイトモデルだの、オーディオモデルだのエコノミーモデルだのと毎年のようにニュースを展開。そんな中でフルオープンのカブリオレは秀逸だった。幌のデザインはあのイタリア最大のカロッツェリア、ピニンファリーナに依頼。よってBピラーにはピニンファリーナのエンブレムが付いていた。ホンダ党としては一度は乗ってみたいと思いつつ時は過ぎた。

が、90年代になって朗報あり。知り合いがエンジンを焼き付かせて廃車にするとのこと。即ゲットしエンジンを換装。傷んでいた幌を新品に(22万円もした!)して暫く楽しんだ。ボディはグニャグニャだったけどオープン時の爽快感はサイコーだった。

ちなみに初代シティはAA型。通ぶる方はAAシティと呼んでいただきたい。