新連載『ホンダ偏愛主義』がスタート!自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。当時の風景が目の前に浮かんでくるような文章に、いつの間にかあなたも引き込まれることでしょう。第1回は、初代シビックが登場します。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

ホンダマニアの告白

私がホンダ党になったのは1973年に初代シビック3ドアGL(型式SB1)を手にしてから。以来45年間、常に何らかのホンダ車が手元にある。

現在、ガレージにはレストア済みの91年式ビート(型式PP1)と93年式CR-Xデルソル(型式EG2)が収まっている。また傍らで少しばかり農業も営むが、軽トラックはもちろんミッドシップのアクティだし、草払い機もOHCエンジンのホンダ製と言った具合である。

第一話は「初代シビック」

ホンダ党になったきっかけは初代シビックだった。

昔話で恐縮だが、高度経済成長真っ只中にあって、72年登場のシビックは「コンパクトカーはかくあるべし!」と訴えていた。1.2LのSOHCエンジンは60&69psと取り立てて凄くはないが効率的で燃費が良い。全長3.4m、全幅1.5mというサイズは今の軽自動車並みながら、大人4人が快適に座ることが可能。世界に先んじたシンプルなFF2ボックススタイルにリアには斬新なハッチゲートも用意。そこにはリアワイパーも付いていた。バンパーはESV(安全実験車)風に角ばっていたのも新鮮だった。すべての面で74年登場のフォルクスワーゲンゴルフに先んじていたのである。だから、ゴルフがFF2ボックスのパイオニアと称されるのは許せない(笑)。

当時、学生だった私は一目でこのホンダの先進性に惚れた。アルバイトで貯めた55万円を手にディーラーへ3ドアGLを買いに……。

ところが諸費用が必要と知って出直し。3カ月後、やっとの想いでゲットしたのだった。父親は「金を出してやるからトヨタか日産にしろ!」と諭す。バイクメーカーとして知られていたホンダだったが、保守的な親たちはホンダを自動車メーカーとしてまだまだ認めてはいなかった時代だったのだ。

赤のシビック3ドアGLが納車された日は嬉しくって運転席で一晩を明かした記憶がある。

小型車生産を始めたばかりのホンダは先進性に満ちていた。そこには保守的な大人には理解できないだろう若者受けする「アンチテーゼ」があった。

昔話で恐縮だが、吉田拓郎の「人間なんて」やオフコースの「僕等の時代」の歌詞に相通じるもの(何だそれ、と言う方はググって欲しい)。そう、若者の価値観はオジサンたちとは違うんだ、と言う点で、だ。後に初代シビックの開発スタッフはほとんどが30代だったと聞けば納得である。

オーナーになってみれば粗削りな点もあったものの、短いホイールベースゆえのダイレクトなハンドリングやスペースユーティリティの高さには十分満足だった。当時はリアシートを倒せば2シーターとしても使えたのだから(私もそうしていた)。

このシビックGLは4年乗って手放すが、後に90年代になって、知り合いからスポーツバージョンのRS(3ドアでクーラー付き)を手に入れ、レストアしてオレンジに塗り替えて暫く乗り回すことになる。その時の懐かしさは格別なものがあった。

ちなみにホンダ党は初代シビックをフツーに型式でSB1と呼ぶ。昨年の東京モーターショーに展示されたホンダ・アーバンEVコンセプトはこのSB1をモチーフにしている。