ホンダにまつわる豆知識を紹介する当連載第2回は、ホンダファンならば一度はスパナで殴られたかった本田宗一郎さんの弟、弁二郎さんをご紹介します。

アート商会でともに過ごす

上の写真は1935年ごろのアート商会浜松支店。左のクルマ『ハママツ号』の横、サングラスをかけた人物が本田宗一郎さん。そして左から15人目は、弟の本田弁二郎さんです。

1928年の4月に徒弟奉公を終えた本田宗一郎さんは、アート商会浜松支店を開業。弟子の中でただ1人、のれん分けを許された独立でした。当時宗一郎さんは21歳で、弁二郎さんは6歳下でした。

多摩川サーキットにて、ハママツ号で宗一郎さんと弁二郎さんが大怪我したのは有名なエピソードですね・・・。

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短期間でホンダを去ることに・・・

弁二郎さんは、1950年代当時、埼玉製作所長をつとめるなど活躍しています。すぐに手が出る宗一郎さんよりは穏やかな人柄で、現場の人から大いに親しまれていたそうです。

しかし創業14年目の1962年、製作側の弁二郎さんは、営業側のトップだった増田儀一さんとともに常務職を解かれることになります。親族の入社禁止・・・という方針もありますが、当時ホンダは37〜45歳の若い重役を登用しており、彼らにのびのびとやってもらうため・・・ということですね。

ホンダ車の説明をする本田弁二郎さん。

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そして、その後は・・・?

そして弁二郎さんは1963年に「技術をもって社会に貢献する」をテーマに、本田金属技術株式会社を設立します。ピストンメーカーとしてスタートした同社は、アルミ鋳物スイングアームやホンダNRの楕円ピストンなど、優れたアルミ技術を蓄積して世の役に立っています・・・。

なお1977年には宗一郎さんと弁二郎さんの寄付金によって本田財団が設立されています。時代とともに活動の幅を広げている本田財団ですが、「科学技術の力を、真に人類の幸福と平和のために役立てたい」という創設者の切なる願いであり、この実現が本田財団のミッションなのだそうです。