1994年以降、鈴鹿8耐はスーパーバイクのルールに準じて行われています。この連載は1998年に成立したSBK(世界スーパーバイク選手権)のタイトル保持者で、鈴鹿8耐を制覇したグレートライダーを紹介していきます。今回はAMA、全日本、SBK、そしてFIM EWCと幅広い活躍をした、D.ポーレンです!

スズキGSX-Rとともにスターダムの道をあゆむ

1960年、ミシガン州デトロイトに生まれたポーレンは、家族とともに移り住んだテキサス州デントンの地で1977年からアマチュアとしてレースを始めました。1982年に転倒で負傷したことを機にポーレンは一時レースをやめますが、友人の誘いもあり1985年から再びサーキットに戻ります。

彼が頭角をメキメキあらわすことになったのは、1986年のことでした。スズキGSX-Rナショナルカップチャンピオンシップでポーレンは750ccクラスタイトルを獲得。1,100ccクラスでも年間3位という好成績をおさめました。

1987年、テキサスに本拠を置くコルセアレーシングからAMAのスーパーバイククラスに参戦。ババ・ショバート、ケビン・シュワンツ、ウェイン・レイニーらトップチームのライバル相手に年間4位という好成績をおさめました。このプライベーター時代のスズキGSX-Rでの活躍が、ヨシムラライダー採用の契機となりました。

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そのほかAMA 600ccスーパースポーツでも活躍したポーレンは、1988年にヨシムラと契約。期待に応え、AMA600ccスーパースポーツと750ccスーパーバイク両クラスのタイトルをポーレンは獲得します。両クラスを単年で制覇したのは、AMAの歴史で初の快挙でもありました。

1989年はヨシムラのライダーとして全日本選手権TT-F1とF3に参戦。日本でもポーレンはTT-F1とF3のダブルタイトル獲得という偉業を達成しています。

なおポーレンが鈴鹿8耐に初出場したのは1987年(ホンダVFR750RK、パートナーはL.ペロ)で23位でしたが、1988年にはK.シュワンツと組んでヨシムラGSX-R750を駆り、2位表彰台を獲得しています。

翌年1989年は同じコンビで8位。1990年はミゲール・デュハメルと組んで6位でした。ヨシムラ時代のポーレンは鈴鹿8耐では総じて好成績と呼べる結果を残しましたが、優勝には届かないままチームを去ることになります・・・。

1990年、K.シュワンツに代わるヨシムラ鈴鹿8耐のエースとして、GSX-R750Rを駆るD.ポーレン。この年彼は開幕前テストでの転倒で足の指を4本失う大怪我をし、その影響で精彩を欠いたシーズンを送ることになりました。©︎モビリティランド/鈴鹿サーキット

ドゥカティで2度のSBKタイトル獲得。そしてホンダで掴んだ8耐優勝!

1991年にポーレンは、エラルド・フェラッチ率いる有力プライベーター、「ファスト・バイ・フェラッチ」からSBKフル参戦をします。そして7連勝を含む17勝という好成績で見事参戦初年度でのSBKタイトル奪取に成功します。翌1992年はドゥカティファクトリーのエースとなったポーレンは、9勝をマークしタイトル防衛を成し遂げました。

1992年、ポーレンはプライベーターのファスト・バイ・フェラッチから、フランコ・ウンチーニが当時監督だったドゥカティファクトリーに移籍。888を駆り、見事2年連続SBKタイトルを獲得しています。

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なおポーレンは1992年AMAスーパーバイクでも年間3位になりましたが、1993年はドゥカティからのリクエストでAMAシリーズに専念。その要望に応え、ファスト・バイ・フェラッチのマシンで2位に大差をつけてAMAスーパーバイクタイトルをドゥカティにもたらしました。

1994年、ポーレンはホンダのSBK新鋭機であるRVF/RC45のライダーとして、カストロール・ホンダと契約。再びSBKフル参戦することになりました。しかし1995年まで続いたホンダ時代、ポーレンは終ぞRVF/RC45で1勝もあげることができませんでした。

しかし、アーロン・スライトと組んで出場した1994年の鈴鹿8耐ではスコット・ラッセル/テリー・ライマー組のカワサキと激しいバトルを演じ、0.288秒という極差で優勝を成し遂げています。

有終の美は、世界耐久選手権2連覇で飾る・・・

なおポーレンは1996年からFIM EWC=世界耐久選手権に参戦しています。1997年にスズキではピーター・ゴダードと組み、1998年のホンダではクリスチャン・ラヴィエイユと組み、それぞれタイトルを獲得しています。

ポーレンのキャリアは、タイトルコレクターと呼ぶにふさわしい活躍と言えるでしょう。引退後にレーシングスクールを営んだポーレンは、2011年にAMA殿堂入りを果たしました。