忙しくなるとバイクに乗ってどこか遠くへ行きたくなる・・・のはバイク乗りの性ですよね? 年度末で忙しい私宮﨑ですが、最近は「探さないでください」と書いた置き手紙を机の上に残し、大きな燃料タンクをもつバイクに乗って旅立ちたい気分になっております?

今のダカールラリーも好きですけど・・・

ちなみにタイトルに入れた「俺たちゃやっぱり・・・」は、かつてあった福岡県にあった平和台球場に掲げられた、西武ライオンズファンのノボリが元ネタです。1978年末、名門球団のライオンズが身売りし地元球団を福岡の人々は失ったのですが、1988年に南海ホークスが売却されて誕生した福岡ダイエーホークスが平和台球場をホームに移転・・・したことは記憶に新しいと思います(※中年以上の年齢の男性には?)。

しかし、今の若者にはそんなハナシしてもピンとこないでしょうが、当時のホークスは大阪から来たかつてのライオンズの敵・・・そして弱小球団だったこともあり平和台球場に集う地元ファンの多くは西武ライオンズを応援していました(←あくまで伝聞での知識ですけど)。そしてライオンズの応援席から、「俺たちゃやっぱりライオンズ」と書いたノボリを掲げて、常勝球団だった当時のライオンズを応援していたんですよね(←これは当時TVで見たから確かな記憶です)。

閑話休題・・・。オフロード好きの私は、毎年新年の「ダカール・ラリー」を楽しみにしているファンのひとりなのですが、なんかやっぱり心のどこかで「パリ-ダカール」時代に郷愁を感じてしまうんですよね。最新の4ストローク450cc単気筒のダカールマシンも「カッケー!」と興奮しますけど、いかにも「長距離走りますよ!」 と言わんばかりの巨大な燃料タンクを採用した、アフリカ大陸を走った往時のマシンたちに萌えてしまうんですよね・・・。

燃料が続く限り、走り続けたくなります・・・

20数台(※ほとんど不動車ですけど)もバイクを所有している私ですが、最近そんな「パリ-ダカール」時代の空気を味わえるバイクが欲しいんですよね・・・。ヤマハXT500とか、ホンダアフリカツイン(XRV650)とか、BMW R80G/Sとか・・・。そんなバイクに乗って、ひたすら林道を結ぶ長距離ツーリングしたいな・・・と妄想にふけってしまうのは、年度末の忙しさから現実逃避したいのかもしれません。

最近特に気になるのは、1982年のパリ-ダカール2輪部門を制覇したホンダXL500Rですね。このマシンはホンダ本国の研究所がガチでパリダカ制覇を目論んで作った初のワークスマシンで、車体にはデュアルパーパスの「XL」の名前が記されてますが、エンデューロモデルのXRをベースに作られています。

1982年のパリ-ダカールを走ったホンダXL500R。プロリンク式ショックの上部マウント位置より後ろに伸びる、巨大な燃料タンクが見る者の目を惹きます。乾燥重量は130kg!! と、軽量に仕上がっていました。

www.parisdakar.it

空冷4ストローク単気筒OHC4バルブのXRエンジンを550ccまで拡大。最高出力は45hpと控えめですが、その分耐久性・信頼性の確保に重点を置いて開発されていたのが特徴でした。4速にすることで各ギアの厚みを5速のスタンダード車よりもたせ、これに強化したクラッチを組み合わせていたのも、1982年型ワークスマシンの特徴のひとつです。

大容量の燃料タンクの幅広さ以外は、スリムな印象のフロントビュー。俗称「よだれかけ」と呼ばれる当時のXR用ライトカウルの下側をカットし、特製のストーンガード付きのオイルクーラーをセット。そして夜間走行用にヘッドライトを右側(向かって左側)に追加しています。

www.parisdakar.it

ワークスマシンらしく、前後ブレーキハブはマグネシウム合金製で、フロント側は150km/h以上の最高速に見合った制動力を発揮するダブルカムタイプを採用。リアショックは今日のリンク式モノショックのさきがけとなった、プロリンク方式を与えています。

ヤマハ時代の1979、1980年にXT500で優勝したフランス人、シリル・ヌブーが乗ったXL500Rは見事1982年大会を制覇します。しかし、翌1983年からはBMWフラットツインが3連覇を達成し、パリ-ダカールは2気筒車による「高速化」の時代に突入。ホンダも対抗策として位相クランクピン式VツインのNXR750を開発・・・という流れになっていったのは、周知のとおりです。

現実放棄はマズいですけど、現実逃避くらいは・・・許してください?

もっとも・・・コレってワークスマシンだから入手するのは現実的に無理ですよね。では一般人が買えるその代替品・・・と考えると、国内でも販売されたXL250Rパリ・ダカールとかになりますね。

1982年7月20日発売の、ホンダXL250Rパリ・ダカール。21リットル大容量燃料タンクが最大の特徴でした。

www.honda.co.jp

でも、やっぱりオリジナルのワークスマシンと同じ排気量が良いなぁ・・・遠くへ行くにもラクだし・・・と考えると、選択肢はこれしかないですね。XL250Rパリ・ダカールと同時期に海外市場で販売されていた、XL500Rパリ・ダカールですね!

欧州市場で販売されていた、1982年型ホンダXL500Rパリ・ダカール。

motoroad.club

先述のライオンズの話じゃないですけど、若い人にはピンとこないハナシですが・・・1996年に大型自動二輪免許が教習所で取得できるようになったり、1985年プラザ合意以降の円高時代に突入する前の時代は、日本国内は大型自動二輪免許のマーケットがものすごく小さかったのです。リッターバイクも自主規制で国内販売されておらず、今のように逆輸入車が一般的な時代ではなかったのです・・・・昭和は遠くになりにけり? (←老害風)。

ともあれ、そんな当時の国内大型自動二輪のマーケットの状況もあり、輸出専用車だったXL500Rパリ・ダカールを今から購入しようとすると日本にはまず中古車が存在しませんから、欧州から探して輸入するしかないですね・・・。

・・・そんなアレコレを妄想する現実逃避で、現実の世界で忙殺されている自分の心を一時避難させたりしている近頃の私です。社会人として、「現実」を「放棄」することは許されることではありませんが、これくらいのちょっとした「逃避」なら許されますよね・・・? 

こちらは、ホンダが勝利した翌年、1983年パリ-ダカールの動画です。パート1と2がありますので、お時間のあるときにでもご覧になってみてください。

Paris Dakar 1983 Film Promo Honda part1

youtu.be

Paris Dakar 1983 Film Promo Honda part2

youtu.be