オートバイ2018年1月号別冊付録(第84巻第2号)「Rehabilitation」(東本昌平先生作)より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集:楠雅彦@ロレンス編集部
膝を壊して、仕事もバイクもお預けだった2ヶ月の入院。
ゲンタロウ67歳の憂鬱・・・
私はゲンタロウ、67歳だ。
長時間の座り仕事が悪かったのか、左膝を傷めて手術をしたのが2ヶ月前。ようやく退院することができたものの、杖を手放せない暮らしになってしまった。
女房のヨウコは11年前に他界してしまったが、息子夫婦や孫夫婦と暮らしているので、とりあえず不自由はない。
2ヶ月ぶりの我が家に戻った私は女房の仏前に線香をあげて挨拶をした。遺影の彼女は生前の穏やかな笑顔で私の帰還を歓迎してくれているかのようだ。
ヨウコに簡単な報告をすると、私は入院中片時も忘れたことのない、愛するオートバイの様子を見にいった。赤と白のストライプが美しいそのバイクは、YAMAHAのRZV500R。1983年10月の東京モーターショーでデビューし、84年に国内発売された名車だ。499ccのV型4気筒の心臓は8500回転で64PSを発揮する。乾燥重量はわずか173kg。ポンコツの私と違って、今でも軽快そのものの走りを見せる。
もうこいつに乗ることはできないのか?そんな想いが頭をよぎった。
リハビリに励むゲンタロウの背中を押す出会い
もう一度あいつに乗る。自由自在に操ってみせる。
私は病院に通ってリハビリを始めた。膝自体は治っている、と思う。しかし衰えきった筋肉はそうそう簡単には元に戻らない。辛くて長いリハビリ生活の始まりだ。
焦る私にトレーナーは「あせっても(かえって)痛めちゃいますョ!」と笑ってなだめる。そうはいっても、一刻も早くあいつに乗りたい。元に戻りたいのだ。
それに。
もう一つ私には、どうしても早くオートバイに乗りたい理由があった。
それは、同じリハビリ棟で知り合ったルミコというバイク乗りの女性のせいだった。私よりははるかに若い36歳の彼女は私と同じように左脚を怪我して入院していた。私の方が少し早く退院したものの、彼女は若い、リハビリを始めれば私よりずっと早く快復していしまうだろう。
一緒にツーリングにいこう。ルミコからのそんな誘いは、私の心を中学生のそれのように浮き立たせた。年甲斐がない?笑うなら笑え、年齢で分別ついてたらバイクなんて乗ってないさ。
若者の知恵を借りて、ちょっとズルするゲンタロウ
果たしてルミコはほどなくして退院し、私と同じようにリハビリを始めた。思った通り、日に日に良くなっていくように見える彼女の回復力に私は焦らずにいられなかった。リハビリの効果はもちろん出ていたが、このままでは置いてきぼりだ。
そこで私は孫のリュウノスケに相談した。年の功より若者の知識に頼れ、だ。
すると彼はネットでカーボン製のニープロテクターを探し出し、これがいいんじゃない?と言った。
「これ?」私は画面を覗き込んだ。こいつを着ければ膝は動くのか。私の心は踊った。
「お届けははやければ明日」とリュウノスケは画面を見ながら言った。
リュウノスケさあ、と私は軽く唾を飲み込んでから言った。「じいちゃん再婚するかもしれないぜ」
「誰と?」とリュウノスケは聞き返したが、すぐあまり表情を変えないまま「いいんじゃないの?じいちゃん独身なんだしさ」と笑った。
人生のツーリングは世界一周。ゲンタロウとルミコのリハビリが始まった。
プロテクターは少し時間がかかって、注文して3日後に到着した。
私は逸る心を抑えながらプロテクターを左膝に装着し、しっかりと革ベルトを締めて固定した。
うん、いい感じだ。これなら脚に力が入る。
愛車であるRZV500Rは玄関の前に引き出され、私を待っている。
そして、そのRZV500Rの横に停められているのは同じYAMAHAのRZ。ルミコのバイクだ。
そう、今日はルミコとの初ツーリングなのだ。
勢揃いした我が家の女どもにルミコは挨拶をした。
私は気恥ずかしさを表情に出すまいと無理に難しい顔をしながら「俺の女になる予定だ」と言った。
するとルミコは「なにそれ」と笑った。違うのか?と聞き返そうとしたが、ルミコは言葉を続けて「恋人くらいに言ってよォ」と言ったので、私は思わず赤面し、照れ臭さを隠そうとヘルメットを被って愛車のエンジンをかけた。
ゲンタロウ67歳。ルミコ36歳。二台のYAMAHA。
31歳差なんて気にしない。
年甲斐もない?笑いたきゃ笑え、これから二人でリハビリするんだ。人生のリハビリってやつをさ。