白黒写真では、なかなか気付きにくいです・・・。
タイトル写真は、1967年のセニアクラスでホンダRC181改でスタートする英雄、マイク・ヘイルウッドですが、ご覧のとおりフェアリング側面は世界ロードレースGP500ccクラスの「黄色地に黒文字」ですが、前面は「白地に黒文字」になっていることがわかりますね・・・。
世界ロードレースGPでは1992年からスポンサーへの配慮で、それまでの各クラスで定められていたゼッケンの色の規定がなくなりました。それ以前は、500ccは先述のとおり「黄色地に黒文字」、250ccは「緑地に白ヌキ文字」、125ccは「黒地に白ヌキ文字」・・・がフェアリングを飾ることが様式美? として定着していました。
ゼッケン色が自由になる前・・・そしてマン島TTが世界GPのカレンダーから外れることになる1976年までのマン島TTの写真を見ると、どのクラスも決勝ではフロントのゼッケンが「白地に黒文字」であることに気付きます・・・。これはなんでなのでしょうか? 私の個人的な勉強不足かもしれませんが、今までマジメにこのことを日本語で解説した記事は見たことがありません・・・。
GPカレンダーから外れるとともに、白地に黒ゼッケンの伝統も終わった?
英国人のジャーナリストに知り合いが何人かいるので、なぜマン島TTだけこのフロントのゼッケン色が使われたのか・・・を聞けば答がもらえると思うのですが、ちょっとした頭の体操のつもりで独自で調べてみようと思いました。
なんとなく、そうなんじゃないか・・・と推理していたのですが、TT=ツーリスト・トロフィーという大会名にヒントがあるのではないかと思い、英国とは異なる法律もある自治領、マン島の交通関連のことを調べてみました。すると、マン島では自動車のナンバープレートに、前側「白地に黒文字」、後ろ側「黄色地に黒文字」を当時使っていたことがわかりました。ご存知のとおり、マン島TTは島を周回する公道を使ったロードレースなので、一応? 法規にのっとってレーシングマシンにも前側は「白地に黒文字」のゼッケンを貼っていたのでしょうね。
では、いつまでこの慣習が守られていたのか? も気になるところです。当時の参加車両を細々と調べたところ、公道を使う危険性から世界ロードレースGPの舞台というステータスを失う前の最後のレースとなった、1976年あたり・・・ということみたいですね。
みたいですね・・・と断定していないレベルのことを記事にして恐縮ですが(苦笑)、今後、時間があるときにでもさらに詳しく調べる・・・面倒になったら、英国のジャーナリストの友人に聞いてみます(笑)。
GPのゼッケンの色が自由になって久しい今は、デザイナーやスポンサーにとってはありがたい時代なのでしょう。でもひとりのファンとしては、なんか格式みたいなものがなくなったことのさびしさも覚えたりします。雑誌やウェブのコンテンツを作るという私の仕事的には、ゼッケンの色を見てすぐにどのクラスのマシンかわかりにくい・・・という現実的な面倒な面もあるのですけど(苦笑)。これは前年のランキングの数字を使わず、商売最優先な「パーソナル・ナンバー」の流行にも言えますけどね・・・。
もうひとつの長年の疑問である「なぜアメリカのAMAでは楕円ではなくスクエアなナンバープレートを使っていたのか・・・」も調べて、おおよそ理解できたときにはロレンスで紹介したいと思います。いつになるか・・・は聞かないでください(笑)。