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「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2017」に参加予定の車両を紹介する当連載!
今回は『マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1』のデモンストレーションに参加予定の、アメリカの名門チームが生み出したペンスキーPC4を紹介します。

F1でも勝利を記録したアメリカの名門チーム!

一般の人はおろか、モータースポーツファンのなかにも、「インディとかオーバルのレースって、グルグル回っているだけでしょ?」みたいなことを言う方が少なくないのは、個人的にはメチャ寂しいです・・・。2輪でも4輪でも、サーキットで全力走行したことが一度でもある人ならばご理解いただけると思いますが、全開走行がほとんどを閉めるようなシチュエーションでレースディスタンスを走り抜くには、どれだけ集中力と的確な操作が必要になるのか・・・それは想像に難くないと思います。

世界3大レースのひとつインディ500で16勝を記録し、インディカーのシリーズで15度タイトルを獲得しているアメリカの名門チーム・ペンスキーは、1974〜1976年の間F1にもチャレンジしています。英国人デザイナーのジェフ・フィリスがデザインした1976年用のPC4は、シティバンク・チーム・ペンスキーからエントリーしたジョン・ワトソンのドライブによりオーストリアGPで優勝を飾っております。

マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1に出場するPenske PC4。 (C)Copyright MOBILITYLAND CORP.

今もインディ・シリーズのトップチームとして活躍するペンスキーが1976年シーズン用に開発したPC4。設計を行ったのは元ブラバムのジェフ・フェリス。74年、75年用のオリジナル・マシンPC1での失敗、PC1の代替として購入したマーチ751、そのコピーともいえるPC3での経験を生かしたPC4は第7戦スウェーデンGPでデビュー。ジョン・ワトソンの1台体制ながら、第8戦フランスGPで早くも3位入賞。続くイギリスGPでもジェームス・ハントの失格騒動で連続して3位入賞を果たす。そして第11戦オーストリアGPでは2番グリッドからスタートし初優勝。同年の日本GPでも予選4位に入る(決勝はリタイア)など活躍した。このシャシーナンバー1のPC4は、オーストリアGPで優勝した車両である。

なお翌1977年はペンスキーはF1の活動を停止しましたが、ドイツのATSレーシングがPC4でF1参戦を継続。開幕にフランス人ドライバーのジャン=ピエール・ジャリエが南アフリカGPで6位に入っています。そしてシーズン後半の2戦(U.S.GPとカナダGP)は、インタースコープ・レーシングがPC4を用い、アメリカ人ドライバーのダニー・オンガイスがカナダで7位完走しています。

2001年の英シルバーストーンでの、ヒストリックイベントに参加したペンスキーPC4。低いモノコックシャシーに、ヒップ・ラジエターを採用するのが特徴です。先代PC4に代わる主戦として、1976年第6戦スウェーデンGPがデビュー戦でしたが、そのパフォーマンスの低さが露呈しエアロダイナミクスを変更し、ホイールベースを延長しています。

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