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"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載。今回は今年9年ぶりに8耐の舞台に戻ってくる、モリワキが2000〜2001年に投入したMTM-1です。

モリワキ製MotoGPマシン開発の、ベンチマークとなった8耐マシン!

1990年代のスーパーバイクレギュレーション時代に、プライベーターのヨシムラが苦戦したお話は先日お伝えしましたが、ヨシムラ創業者、吉村秀雄の愛弟子である森脇護が1973年に設立したモリワキも、同様に4大メーカー・ファクトリーチームを相手に厳しい戦いの日々を送っていました。

そして1999年大会からモリワキも、戦いの舞台をスーパーバイククラスからXフォーミュラクラスへ移し、ホンダのV型2気筒モデルであるVTR1000Fで参戦しました(なお1997、1998年はVTR1000Fでスーパーバイククラスに出場しています)。

MTM-1は全日本・鈴鹿8耐のXフォーミュラクラス向けに、モリワキが2000年にデビューさせた独自のマシンです。搭載するエンジンはVTR1000Fベースですが、ストックのアルミ合金フレームに対し、モリワキはクローム・モリブデン鋼管を使った独自設計のフレームを採用するのが特徴でした。

2001年の鈴鹿8耐ピット上のモリワキMTM-1。1981年大会ではカワサキZのエンジンを独自のアルミ合金製フレームに搭載して多くの人を驚かせたモリワキですが、MTM-1ではホンダVTR1000Fエンジンをクローム・モリブデン鋼管製フレームに搭載し、再び多くの人を驚かせたのです。

www.moriwaki.co.jp

2000年の全日本選手権第6戦(スポーツランドSUGO)Xフォーミュラクラスにて、ブロック・パークスのライディングでMTM-1は見事優勝。そしてその年の8耐ではB.パークス/稲垣誠組がクラス7位(総合17位)という成績を残しています。そして翌2001年大会もモリワキはMTM-1を送り込みますが、残念ながら51周でリタイア・・・という結果に終わりました。

2001年大会は、浜口俊之/稲垣誠組がモリワキMTM-1に乗りましたが、残念ながらリタイアという結果に終わっています。 ©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

2002年からモリワキは主戦マシンを並列4気筒のホンダCBR954RRにスイッチしますが、同年10月にモリワキは多くの人を驚嘆させるリリースを配布しました。そこにはモリワキが2004年度のMotoGPフル参戦を目指し、HRCから供給されるホンダRC211V用V型5気筒エンジンを搭載する独自のマシンを開発中であることが記されていました。

熱心なMotoGPファンなら、このマシンがMD211VFというモリワキ製のGPマシンであることは周知のことと思います。MD211VFもMTM-1同様、そのフレームにクローム・モリブデン鋼管を使っているのがその最大の特徴でした。

2002年からスタートした4ストローク990ccのMotoGPクラスに対して、当時のモリワキは初期の鈴鹿8耐に似た「空気」を感じ取り、独自のGPマシンを作ることを計画していました。

その後84年から8耐は750のTT・F1の時代となり、メーカー間の戦いとなっていく。しかし1000cc時代の8耐はホンダ、カワサキにヨシムラとモリワキが挑戦し、勝った時代なのである。
 言い換えれば84年からの750時代の馬力なら、ワークスのフレームでもよかった。しかしリッターバイクのモンスター時代にはフレームに対してある特殊な才能を持つ人がいれば、ワークスに勝つことができた時代なのである。
 新しいGPはこのモンスターの時代を彷彿とさせる。百花繚乱、それは80年代前半の8耐そのものだった。時代はまた、コンストラクターの元に帰ってきたのかもしれない。

1980年代初頭、まだスチールフレームが主流の時代にアルミフレームのモリワキモンスターを作ったモリワキは、21世紀になってアルミフレーム全盛のGPの世界に、あえてスチールフレームのMD211Vを作り、MotoGPに送り込んだのです。いわばMTM-1は、モリワキ初のMotoGPマシン用フレームの習作として生み出されたともいえる、非常に稀な鈴鹿8耐マシンといえるのでしょう。

今年モリワキは「モリワキMOTULレーシング」というチーム名とともに、9年ぶりに鈴鹿8耐の舞台にカムバックします。はたして彼らがどのような戦いを久々の8耐の舞台で魅せてくれるのか・・・その活躍に期待しましょう!