©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド
"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載です。今回は1992年大会、5位に入ったヨシムラGSX-R750をとりあげます。

スズキ vs. ヨシムラ!

1992年当時、スズキは本社チームとしてエンジンチューニングを行ったTT-F1マシンを鈴鹿8耐や全日本TT-F1選手権に投入するようになっていました。ホンダやヤマハのほか、カワサキやスズキも、資本力に勝るファクトリーチームをこれらのクラスに投入することは、プライベーターのヨシムラにとっては大きな脅威でした。また1991年限りで4ストローク400cc・2ストローク250ccを対象とするTT-F3が終わったことで、各メーカーのファクトリーチームはより一層その勢力をTT-F1に注ぐことになったのです。

TT-F3でタイトル獲得などの実績を持つヨシムラでしたが、最終年の1991年はTT-F1クラスに専念。そして翌1992年からは熱の問題でライバルに太刀打ちできなくなりつつあった油冷のGSX-R750に代わる、水冷の新型GSX-R750がベースマシンになりました。

この年、ヨシムラのエースナンバーである「12」をつけたスズキGSX-R750を託されたのは、ともにヨシムラと縁の深いチームであるミラージュ関東出身の青木正直/大阪賢治組でした。 ©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

ワイン・ガードナー、ダリル・ビーティー、ケビン・マギー、ニール・マッケンジーら世界ロードレースGPで活躍するスターライダー相手に、ヨシムラの若手コンビは奮闘。スズキ勢では最上位の5位のポジションをゲットしました。

しかし、翌1993年以降はスズキファクトリーのGSX-R750も信頼性と速さを向上されることになり、1994年以降の750ccスーパーバイク時代の鈴鹿8耐では、ヨシムラよりも上の順位でスズキファクトリーがゴールすることが常となりました・・・。