"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載です。今回は1990年大会に参戦した、ドゥカティ水冷Vツインです。

じつは結構多い、ドゥカティ使用チーム

1988年からスタートしたSBK(世界スーパーバイク選手権)で、中心的な活躍をするメーカーがイタリアのドゥカティです。SBKの性能調整ルールで、4気筒よりも大きい排気量が認められる2気筒車であるドゥカティですが、単に排気量の大きさだけでなく、90度Vツインエンジンのトラクションの良さなどが、長年にわたり常にSBKのトップ争いに加わる戦闘力の高さにつながっています。

しかし長丁場である鈴鹿8耐などの耐久レースの世界では、速さと耐久性を兼ね備えた日本車が1980年代以降は主役となり、ドゥカティが世界耐久選手権で目立った活躍をすることはありませんでした。ただ過去のエントリーリスト見てみると、ドゥカティを愛するエンスージャストたちは、1980年から今日にいたるまで結構多く鈴鹿8耐に参戦していることがわかります。

1990年には、当時BOTTなどのイベントで活躍していた専門店のパワーハウスが、写真家の加納典明を監督にサザレRT(PHMC)というチームで参戦。マシンは水冷V型2気筒DOHC4バルブのドゥカティ851でした。

東京のパワーハウスが手がけたドゥカティ。エントリーは851ですが、当時のSBKを走っていた888系と同じです。まだ燃料系の主流がキャブレターだった当時、ドゥカティはすでに電子制御式フューエルインジェクションを採用していました。

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この年、サザレRT(PHMC)はプライベーターチームながら、2台体制で参戦。80号車はマッシモ・ブロッコリ/ステファーノ・カラッキ組、88号車はステファーノ・ペンネーゼ/フランチェスコ・モナコ組に託されましたが、80号車が予選59番手で通過するものの、88号車は予選落ちに終わりました。そして迎えた決勝ですが、なんとわずか4周で転倒リタイアという残念な結果に・・・。なお同年は、チームフクイ(転倒リタイア)など他にもドゥカティでのエントリーがありました。

当時はまだバブル景気の影響もあり、サザレRT(PHMC)もメディアを使って派手に露出していたチームでした。注目を集めていただけに、残念な結果に多くのドゥカティファンは悲しんだことでしょう。

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ファクトリーチームをはじめとする国産車勢相手に、外国車のドゥカティで鈴鹿8耐を戦うことは、予選を通過するだけでも大変なことですが、世の中のドゥカティファンのために、今後もチャレンジャーが参戦してくれることを期待してしまいます!