今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載、今回はスズキで世界ロードレースGP500ccクラス王者になったケニー・ロバーツ Jr.です!

親子2代のGP最高峰王者!

1978、1979、1980年と世界ロードレースGP500ccクラス3連覇をヤマハで達成した「キング」こと、ケニー・ロバーツの息子であるケニー・ロバーツ Jr.は、1993年から世界ロードレースGP250ccクラスへの挑戦をスタートしています。

ケニー・ロバーツ Jr.が鈴鹿8耐に参戦したのはその年の第16回大会でした。マシンはヤマハYZF750。TT-F1規格で行われた最後の大会でした。チームはヤマハSATYレーシングチーム。パートナーは1991年、全日本F3最後の年を制覇した高橋勝義でした。

高橋/ロバーツJr.の駆るヤマハYZF750は、予選では15位とイマイチのポジションでした。

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決勝では藤原儀彦/永井康友組(YZF750)がヤマハ勢として優勝争いに序盤加わりましたが、トラブルにより後退を強いられます。一方高橋/ロバーツJr.組は周回を重ね、首位に3周差の204周で完走。ヤマハ勢最上位の8位になりました。

当時世界ロードレースGP250ccクラスで世界デビューした K.ロバーツJr. その後1995年までヤマハでGP250ccクラスを戦い、1996年はYZR500でGP500ccクラスへステップアップ。1997〜1998年はモデナスKR3で走りますが、1999年から父のもとを離れスズキへ。そこで本来の実力を発揮することになりました。

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1999年スズキでRGV-Γ500でGP初優勝を達成すると、この年年間4勝でランキング2位に躍進。そして翌2000年に4勝をあげ、見事ケビン・シュワンツ以来のスズキでのGP500cc王者に輝きました。この2年間以外、ロバーツJr.はGPで勝利をあげることはありませんでしたが、MotoGP時代の2007年まで時折光る走りを披露する活躍をしました。

スズキ最後のGP王者として、彼を崇拝するスズキファンは今でも少なくありません!