"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載です。今回は1984年大会で、モリワキから参戦して好成績を残したホンダCBX750Fです!

八代俊二、鈴鹿8耐初チャレンジ!

1984年の鈴鹿8耐は、初の日本人ポールポジションになるか? という期待が予選で最高潮に高まりました。同年から始まった全日本ロードレース選手権TT-F1クラスで初代チャンピオンに輝くことになった八代俊二は、当時21歳だった宮城光と組んでモリワキから鈴鹿8耐に初参戦。空冷並列4気筒のCBX750Fで、ワークスホンダのRS750相手に予選で奮闘。惜しくも2位でしたが、その走りは多くの観衆を魅了しました。

2分22.16秒で予選2位に入ったモリワキのCBX750F。車体には独自のアルミフレームを採用していました。 オートバイ/モーターマガジン社

宮城光(左)と八代俊二は、前年の1983年の鈴鹿4耐で優勝したフレッシュコンビでした。 オートバイ/モーターマガジン社

決勝レースは残念ながら、八代/宮城組はライダー交代直後の19周目にエンジンが壊れてリタイアを強いられています。しかし、同じくモリワキからエントリーした樋渡治/福本忠が、表彰台独占のワークスのホンダRS750勢に次ぐ4位を見事獲得しています。

1986年大会で5位入賞した八代/宮城組のホンダCBX750F。なおエントリー名で車名は記述していますが、このマシンはモリワキZERO-X7という名がつけられています。 オートバイ/モーターマガジン社

なお八代はこの後1986年から1994年の間に5つの大会に参加していますが、「完走ではなく、表彰台しか狙っていなかったので、8耐にはあまりいい思い出はありません」と約10年前にオートバイ誌の取材にこたえています。しかし1986年には宮城とのコンビで、水冷のワークスマシン勢を相手に空冷のCBX750Fで5位に入賞したり、1994年にはRVF/RC45でプライベーター最上位の6位入賞を果たすなど(NTTモリワキレーシングでパートナーは新井秀也)、素晴らしい記録を残しています。