今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回は2001年にGP250ccクラス年間最多勝記録に並ぶ11勝を記録した、加藤大治郎です!

1997年にはポールポジション獲得!

大ちゃんの愛称で、今も多くのモータースポーツファンに愛される加藤大治郎の初の鈴鹿8耐は1994年のことでした。チームはHRCで、パートナーは辻本聡。マシンはホンダRVF/RC45。予選は5位でしたが、決勝は11周リタイアに終わっています。

1995年はテリー・ライマーと組み、NIKKEN Team高武RSCのホンダRVF/RC45で出場。予選は14位で決勝は12位と、初めて8耐初完走を記録。武田雄一と組んでチーム国光 with HSCからRVF/RC45で出場した1997年大会は見事ポールポジションを獲得! 決勝は9位でしたが、これが初のシングルフィニッシュとなりました。

前年同様、武田雄一と組んでラッキーストライクHSCから出場した1998年大会は、スタートから同じラッキーストライクカラーのRVF/RC45に乗る伊藤真一/宇川徹組とデッドヒートを展開。しかし、2時間23分に加藤の乗るRVF/RC45にドライブチェーン切れのトラブルが発生! バックストレッチからピットまでマシンを押して戻ってきましたが、切れたチェーンが暴れてクランクケースを破損していたことが判明。残念ながら修復不可能でリタイアとなりました・・・。

1998年大会、伊藤真一のホンダRVF/RC45(#33)を、RVF/RC45(#100)に乗り追いかける加藤大治郎。 オートバイ/モーターマガジン社

1999年大会は、玉田誠と組んでTeam高武と桜井ホンダのRVF/RC45で出場。決勝は岡田忠之/アレックス・バロス組とのトップ争いになりますが、玉田とバロスの2回目の走行時に雨が降り始め、これが勝敗を分ける要因となりました。

降雨にピットインでのタイヤ交換で対応した玉田に対し、バロスはスリックタイヤのまま走り続けます。その後雨が止んで路面状況は急速にドライに回復し、玉田は再度ピットインしてタイヤ交換を強いられることになりました。この間にアドバンテージを築かれ万事休す。最終的に玉田/加藤組は8位まで順位を落としてゴールしました。

ホンダVツインで2度の8耐制覇!

V4・750ccのRVF/RC45の時代は、優勝候補にあげられなからも鈴鹿8耐の表彰台に届かなかった加藤大治郎ですが、2000年にホンダがファクトリーマシンをVツイン1,000ccのVTR1000SPWにスイッチしてからは、3年間で2勝という好成績を残しています。

ホンダのエースナンバー「11」をつけたVTR1000SPWで、2002年大会を走る加藤大治郎。

www.suzukacircuit.jp

2000年大会は宇川徹と組み、215周の周回記録を更新し独走優勝。2001年大会はチーム・キャビン・ホンダから宇川徹と玉田誠と組んで出場。首位と同一周回数の4位という成績でした。そして2002年はコーリン・エドワースと組んで、219周という最多周回記録を樹立しての優勝を飾っています。