2017年2月。同年8月をもって生産終了されることが発表されたYAMAHA VMAX。
好きとか嫌いとか、興味があるとかないとかに関係なく、そこに在ったなら、誰もが目を奪われてしまう独特のフォルムと存在感。そのマッスルデザインはまさにドラッグマシンのそれだった。
YAMAHA自身は、スーパースプリントアメリカンと名付けたが、そのマッチョで男臭いスタイルと、そこから生まれるパワフルさへの期待をはるかに上回る”暴力的”とも形容される強烈な加速は、誰からも畏怖される、正真正銘の男のバイク、唯一無二の存在だった。
2017年5月4日現在、「生産終了」が公式に発表 されたのは「国内仕様」となります。仕向地によっ ては、発表がこれからになるところや、発表されな いままのところもある可能性があります。

思い出の黒いVMAX

大排気量・高出力という、多くのアメリカ人が根源的にオートバイに求める要素を、性能・デザインの両面で具現化したモデルが、初代VMAXと言えるだろう。その唯一無二の価値観が評価され、稀有な長寿作となった。(宮﨑健太郎)

VMAXというと、僕はまだ20代の頃に足繁く通っていたラーメン屋の店主を思い出す。彼は黒いVMAXに乗っていた。さほど身長こそ大きくないが、よく体を鍛えていて、乗っている姿を見たことがなかったにせよ、よく似合うと感じていた。僕は当時ゼファー400に乗っていて、よくそのVMAXの脇に停めさせてもらって、定番の塩バターラーメンを食べた。

油の匂いが漂う狭く暗い路地に佇むVMAX。走っているところをみたことがなかったが、上半身をむき出しにして汗を拭う筋骨隆々の黒人がそこに座っていたとしたら、同じような軽い恐怖と畏敬の念を抱いたことだろう。VMAXは、ヘビー級ボクサーのような有無を言わさぬ迫力を携える、数少ないバイクだった。

その後、僕は数年間日本を離れ、戻ってきたときには、そのラーメン屋はまだあったものの、彼はバイクを降りていて「ゴルフに行けないから」という理由を聞いて舌打ちをしたことを覚えている。その後僕はそのラーメン屋には行っていない。
(あ、彼の名誉のためにいうと、ラーメンの味は落ちていなかったし、バイクを降りる理由はなんだっていい、個人的なことだから。ただ僕が狭量だったというだけである)

オトコ、男、漢。それがVMAX

僕はZ乗りだ。オートバイ人生のほとんどをカワサキに捧げてきたと言っていい。
正直言って、ZIIを手放すことはないので、他に乗りたいバイクがたくさんあったとしても買い換えることはない。ないのだが、万一のことがあって乗り換えなくてならないことがあったとしたらと空想すれば、欲しいバイクがないわけじゃない。GPZ900Rやマッハといった旧いカワサキ車だけじゃない、新車を含めて指折り数えれば、10台は欲しい名前が浮かんでくる。

そんな妄想の中で、なぜか胸をよぎるのが、実はこのVMAXだ。

もっと正直に告白すると、欲しいな、乗ってみたいな、と思いはするが、僕がVMAXを買うことは絶対ないし、選ばないと思う。それなのに、なぜかこのバイクのことを思い浮かべてしまうのだ。僕の好みのタイプではない、乗っている自分の姿を想像もできない、でもどうしてもこのバイクのことを考えてしまう。

それはこのバイクが、正真正銘漢のバイクだからだ、いや、VMAXこそ漢の象徴だからだ。

僕が愛するカワサキには、オトコカワサキというキャッチフレーズがあるが、VMAXが現れた瞬間にだけは、この称号をVMAXに譲り渡さねばならない気がしてしまう。百獣の王 ライオンや密林の王者 虎でさえも、巨大なアフリカ象には道を開けるだろう。それと同じような有無を言わさぬ力がVMAXにはある。男なら、VMAXだろう、と誰かが耳の後ろで囁くのを止めることができないのである。

そのVMAXが生産終了するという。
まるで引退を予告したボクサーのように、ただ8月を待つ他ないのか。かつてのチャンピオンも時の流れには勝てず、追憶の存在となっていくのか。
素直には受け止めらない僕は一人舌打ちをする。僕が狭量なのか、それとも?

僕は何度でも舌打ちをする。そう、繰り返すのだ。

撮影車両は2006年型/走行距離1万8329km/価格57万9000円で、バイカーズステーションソックスさいたま中央店にて販売中。かなり程度の良いノーマル仕様車。気になるひとはお急ぎを!