スペックだけが車じゃない、本当に車が好きな男たちと時代を超えて生き続ける名車の、運命的な出会いを描いたプチストーリー。
西風先生作「GTroman ONCE UPON A TIME」より
相対的な速さを諦めて、自分のペースで楽しめる車へと乗り換える決意をした主人公ススム
行きつけのカフェバー、GTロマンは車好きの溜まり場だ。ハコスカに乗るマスターは、ここいらでは知らぬ者のいない強面で、飛ばし屋の間では一目も二目も置かれている存在。いつもは怖くてあまり話しかけられない僕だが、今日ばかりは違う。意中のあの車の素性を確かめられるのはマスターしかいないからだ。
僕はいくらか自分でも解らないくらい金をかけたセリカXX(ダブルエックス)を売って、車を買い換える決意をしていた。XXを気に入っていなかったわけじゃない。気に入っていたのだが、ほぼノーマルのスープラにあっさりぶっちぎられて、一気に色あせてしまっていたのだ。
とはいえ車を嫌いになるわけではない。そこで、どんなに金と手間をかけても最新の車には勝てないなら、いっそもっと古い、旧車に乗り換えて車本来の走りを楽しもうと思い直したのだ。
僕が見つけたのは1960年代の古いホンダ。小排気量のオープンスポーツなんだけど、あまり古すぎて、本当の良し悪しを判断しかねた僕は、車の目利きに関しちゃ誰にも負けないマスターに同行をお願いしようと思い立った、というわけだ。
何を買うんだ、ススム?とマスターは無表情のまま訊いた。
ホンダのS800(エスハチ)ですと答えると、マスターはニカっと笑い、革コートを取り出して「早く行こうぜ」と僕を促した。
極上のS800が僕たちを待っていた
マスターを連れて、エスハチが待つディーラーにつくと、お店の人がS800を店の前に置いて僕たちを待っていてくれた。
「極上です、最高でしょ」と彼がいうように、そのエスハチはまるで現代の新車のようにピカピカと光を反射させ、輝いていた。
「ちょっと乗ってみたいんだけど」と申し出るとすぐにキーを持ってきてくれたので、僕とマスターは早速車に乗り込んで、エンジンをスタートさせた。
S800は本物のスポーツカー
この車の良し悪しを確かめるには、峠にいくしかない。僕たちは街を抜けて箱根に向かった。
「まだまだだ、もっと回せるぞ」とマスターは言う。僕はマスターの教え通りにシフトを変え、アクセルを踏み込んだ。果たして800ccの小さなエンジンは軽やかに快音を響かせ、1万回転を軽く超えた。
バイクみたいだろ?、とマスターは相好を崩して僕に言った。
「ハイっ」と答えた僕はもうこの車のトリコだった。風切り音に負けないように僕はでっかい声で叫んだ「ご機嫌ですね!! 」
「こういう車は他の車とバトルするより、自分のペースで走りを楽しめばいいんだ。ロマンを感じながらな」マスターは言った。なにがロマンかはちょっと解らなかったが、確かに一人で流すのがこれほど楽しい車もないと思う。マスターの言う通りだと僕は思った。
時代を超えて現れたライバル
ひとしきり走ると、あたりは少し暗くなりかけてきた。「そろそろ戻ろうか」とマスターは寒そうな顔して言った。S800の魅力に熱くなりすぎていた僕だが、オープンカーに乗るにはまだ少し寒い季節だ。
すぐに同意して、僕たちは街へと戻ろうと、方向を変えた。
そのとき、反対車線から乾いたサウンドを響かせて、同じように古い小さな車がコーナーを曲がって姿を出した。ヨタハチ(トヨタ スポーツ800)だ。
そのとき、滅多に大声を出さないクールなマスターが突然大きな声で叫んだ「追え!」
さっきまでこのクルマはバトルなんてしなくていい、と言っていたはずなのに?
マスターは言う。「いいかススム!このエスハチはあのヨタハチに負けるわけにはいかんのだ!」
「ハ・・・ハイ!!」僕はヨタハチを追って走り出した。
僕はヨタハチも嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、マスターが熱くなる理由がなんとなく解らなくもない。時代を超えて出会ったホンダとトヨタのかつてのライバル。
そこにロマンを感じないなら車好きじゃないさ。
マスターの熱い情熱が僕に伝染し、僕はさらにスピードをあげて、ヨタハチに迫った。
まくれ!
さっきまでの寒そうな顔はどこへやら、右腕を振り回して僕を叱咤するマスター。ヨタハチの尻を目を釣り上げて見つめながら僕は、意志を決めていた。買うぞ。このS800、絶対買うぞ。