Kawasakiのバイクを語る上で、欠かせない存在である空冷Z。そんなZの開発物語を、当時の開発担当者の話を交えて迫っていきたいと思います。まずは、4サイクルで世界一を目指したZ1のお話。
【稲村暁一さん】Z1からZZR1100まで、ほとんど全てのカワサキ4サイクル車を開発設計。Z1・Z2に関しては主にエンジンを担当。
【井上隆至さん】Z1/Z2の動弁系、クランク等の開発、Z400のエンジン設計を担当。
【大槻さん】当時の稲村さんの上司。あだ名はHP。

ベスト・イン・ザ・ワールド

(オートバイ Classics©モーターマガジン社)

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後にカワサキの特別な意味を持つ数字となった900㏄という排気量はどこから来たのだろうか?

稲村「CB750が出て来て当方ぽしゃったと。人間様が乗って制御できる最大の排気量は何㏄か考える一方、ハーレーのスポーツスターが好きだったんです。全然イメージが違いますけど、なかなかいい排気量やな(笑)。絶対的な優位さをつけられる排気量でもあろうと。900でいこうやと」

井上「当時、排気量の自主規制をしてまして、ハーレーの上を行かないようにと。それでと言う訳でもないんですが900で行こうかと」
ここでまたHP(大槻)さん登場。

稲村「我々は900で行くつもりやったんですが、HPさんが言うには1200まで排気量増出来る技術的余裕を持たせとけと。そういう事が後々のチューニングUPの余裕に継がっていると思います」
NYS=ニューヨークステーキがジュージュー音を立て始めた!

「Z1」究極の1番を意味する名前を持つこのモデルが開発されるきっかけは、当時活気に燃えていたアメリカ市場に「世界一速いオートバイを、4サイクルでぶつけてみよう。」という決断から始まったそう。

そして、まず開発されたのがダブルオーバーヘッドカムの750でした。しかし、あと一歩で完成するというタイミングである1968年10月の東京モーターショーでHONDAから、CB750が発表されてしまうのです。

とにかく世界一を目指していた当時の開発陣は、すぐさま開発を中断し、そして、900ccという排気量の道へと足を踏み入れたのでした。

これは、もしHONDAがタッチの差でCB750を発表していなければ、Zという伝説の名車が誕生する事は無かったという可能性を頭によぎらせる事実ではないでしょうか。

そんな運命とも言えるアクシデントにより、Z1が誕生するのです。