神は実在し、ブリュッセルのアパートに住んでいて、パソコンで世界を作った。イヤな奴で妻や子供を怒鳴りまくるので、嫌われている。神もまた誰も愛さず、慰みものにするために人類を作り、日々小さな不幸のタネを作っては、嫌がらせをして、苦しむ人間たちを見て楽しんでいる。
息子は割と有名(というか誰もが知っている、あの人)、だけど娘のエアのことは誰も知らない。
あるとき、エアは人間たちに余命を知らせるメールを送った。
息子は割と有名(というか誰もが知っている、あの人)、だけど娘のエアのことは誰も知らない。
あるとき、エアは人間たちに余命を知らせるメールを送った。
エアは”神の子”として自分の使徒を探す旅に出る。
父親である神を出し抜き、仕返しをするため、エアは父親の書斎に忍び込み、パソコンから人間たちに余命を知らせるメールを送った。死期を知ったら、人間はもっと自由に生きていくはず。
エアはそう思ってメールを送ったのだが、これが逆効果。世界中は大パニックになってしまう。自分がもうじき死ぬと知れば、人は自暴自棄になる。なかなか残り時間を有意義に過ごそうと前向きに考えることはできない。逆に自分が案外長く生きると思えば、まだまだ時間があると思って怠惰に流れる。
そんな中、エアは父親の元を逃げ出し、人間たちの世界へと降り立つ。兄であるあの人 同様に、自分の使徒を探しだして、自分の新約聖書を作るために。
エアは、使徒として選んだ人間たちの元を訪れる。
余命を知った彼らは、それぞれの人生の転機を迎えていたが、エアは彼ら一人一人に小さな奇跡を与えていく。
設定以上の深みはないが、それでいいと思える、淡く可愛らしい物語
本作の原題は The Brand New Testament。つまり新・新約聖書だ。
旧約聖書の神は嫉妬深く、敵愾心が強い。新約聖書の神は、その息子であるあの人。エアはその次の新しい聖書を作ろうとしているわけだが、この映画の”神”はより矮小で底意地が悪く、退屈を持て余していて、人間たちの不幸を作り出しては楽しんでいる。
そんな父親を否定して、エアは世界を作り直そうとするわけだが、とりたてて何かをするわけではない。余命メールを出して、パソコンの電源を抜いただけだ。
可愛らしい神の子の冒険。
それだけの映画であって、それ以上の何かがあるわけではない。意味を求めるのではなく、フランス映画的な(ベルギーの映画だけど全編フランス語の)情緒的な詩情をふわっと味わう。それが本作の楽しみ方だろう。