1969年は私の生まれた年ですけど(それは、どうでもいいことですね)、その年のマンクスGPのカラームービーを紹介します。この時代のプライベーターたちのGPマシンをカラーで見ることができるのはなかなかレアなので、クラシック好き・・・とりわけヒストリック・ロードレーシング・ファンは必見だと思います。

アエルマッキ、マチレス、ノートン・・・etc.

例年6月に行われるマン島TTは、1969年当時は世界ロードレースGPの1戦として開催されていました。前年の1968年にヤマハが参戦停止したことにより、'60年代に猛威を振るった日本のファクトリーチームはすべてGPから撤退した形になりました。

一方、マンクスGPは(タテマエとして)アマチュア対象、ファクトリー参戦禁止・・・という伝統があったため、純然たるファクトリーマシンの参加はなく、各プライベーターたちは市販レーサーや公道車改造のクラブマンレーサーで参戦していました。当時のマンクスGPで勝利することは、スターGPライダーへの登竜門・・・的な意味があったのです。

OHC単気筒の名市販レーサー、AJS 7Rですね。マチレスG50/AJS 7Rの製造権を当時有していたシーリーは、独自のフレームを用いた市販レーサー(シーリー500/350)を当時すでに販売していましたが、まだスタンダードフレーム車を使うプライベーターも多かったようです。

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押しがけで2台ずつスタートし、タイムを競う方式は、マン島TTと同様でした。両側面の青地+白ヌキ番号から、ジュニア(350cc)クラスであることがわかります。

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これはかなりレアな1台です。グリーブスの市販レーサー、RFSオウルトンですね(2ストローク350cc単気筒)。当時のリザルトを見ると、ピーター・モーガンが乗るこのマシンは残念ながらDNFだったようです。

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1950年代〜1960年代初頭は、前後19インチを採用する350〜500ccの市販レーサーが多かったですが、1960年代半ばは、前後18インチを試すプライベーターたちが増えていきました。その結果最低地上高がわずかに下がり、オリジナルのエキゾーストではバンク角の制約が出たため、アップタイプのエキゾーストが流行するようになりました。

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躍動感あふれる映像をお楽しみください!

こちらのムービーは、マンクスGPのジュニア(350cc)クラスの模様を収録していますが、この年の表彰台は1位からロビン・ダフティ(アエルマッキ)、A.C.チャップマン(ヤマハ)、クライブ・ブラウン(ノートン)が上がっています。

1973年以降は、2ストロークツインのヤマハTRや、水冷のTZが最良のプライベーターの相棒の地位につくことになりますが、このころはイタリアのアエルマッキ・アラドーロ350(OHV水平単気筒)がジュニアクラスでは強かったです。また、マンクスノートンやAJS 7R、そしてシーリーなどの英国製単気筒も根強い支持を受けていましたね。

そんな出場車のバラエティが豊かだった時代の、マンクスGPの動画をぜひご覧になってみてください!

Manx Grand Prix (1969)

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