例えば余命1日として、何か大切なものを消すごとに1日ずつ延命できたとしたら?
悪質の脳腫瘍によっていつ死んでも不思議ではない、と絶望的な診断を下された青年の前に、自分と同じ姿をした悪魔が現れる。「君の周りの”何か”を消すたびに、寿命を1日延ばしてあげるよ」と悪魔は彼に告げる。

何かを得るには何かを犠牲にしなくては。命より大事なものがあるか?と詰め寄る悪魔の声に抗える者があるだろうか

まずは電話が消される。誰かと連絡がつきづらくなる、とだけ思ったものの、電話をきっかけに知り合った大切な人との繋がりさえ消えてしまう。
次は時計。そして映画。何かが消えるたびに、その何かによって繋がっていた、さまざまな思い出が失われていく。こんなはずじゃなかった、とうろたえる青年に、悪魔は微笑みながら「命の方が大事だろ?」と囁く。

「そんなものがなくなってもどうってことないだろ?水や食べ物と比べれば。命の方が大事、だろ?」と微笑む悪魔に、頷く他ない青年だったが、やがて悪魔が「猫を消そう」と告げられて慄然する。

寿命を伸ばすために何かを一つ消そう、と持ちかける悪魔は、自分と同じ姿をしていた。

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青年にとって、猫はただのペットではなかった。亡くなった母親との強い繋がりの象徴でもあり、隠れた父親の優しさの証でもあった。

死にたくはない、でも自分の大切な人たちとの繋がりが消えてしまうのであれば、それは死ぬことよりもつらい。この世界から何かが消えるのであれば、それは自分であるべきなのではないか?

青年は自問自答のうえ、切なくも辛い決断を下すー。

いつ、誰の身にも訪れるかもしれない悲劇。あなたは向き合えるか?

人間はいつか死ぬ。しかしそれが今日や明日であるとは誰も思ってはいない。

あなたは明日死ぬかもしれない、と告げられても、可能性としては常にあったとしても、確定的な事実として受け止めはしないだろう。

しかし、現実にはこの映画の青年のように急な病に見舞われるかもしれないし、交通事故に遇うかもしれない。そんな危うい現実の上に我々は生きている。本作はそうした悲劇に巡り合ってしまった青年の心情を疑似体験し、自分にとって一番大事なものはなんなのか、果たして自分には自分の命以上に大事なものがあるのかどうかを、考えてみる良い機会を与えてくれるだろう。

「世界から猫が消えたなら」予告2

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