1982年まで、日本の量産車にはカウリングも低いハンドルも許されていなかった。これらの規制が緩和されたのがレーサーレプリカの誕生を促したのである。そして1983年2月20日SUZUKIから発売された日本のレーサーレプリカ第1号RG250Г。そこから始まったレーサーレプリカブームの軌跡を辿っていきたいと思います。
後方排気エンジンと新フレーム伝統のクラスを守るヤマハの切り札
市販レーサーTZとまったく同じコンセプトによって造り上げたというだけあって、エンジンにはシリンダー前方から吸気し、後方へと排気する新システムを採用している。TZと同じというだけでなく、市販車としては新しい試みという点で、充分なアピールポイントとなるレイアウトである。
通称は、型式名に由来する「さんま」。また、当時の市販レーサーTZ250に採用されていた前方吸気後方排気システムを一般車にフィードバックした独特のエンジンの形状から「後方排気」と呼ばれることもあった。高回転を多用するレーシングマシンならいざしらず、だれでもが乗り、低中回転域にまで充分な力を持たせる必要のある公道用市販車にこの独特のエンジンを搭載する事は、かなりの決断を要するチャレンジだったと思う。
レーサーモデルであるTZと公道モデルのTZR、この2台は常にリンクしながらお互いを高め合い進化し続けていきました。しかし、HONDAのNSR250Rには対抗できず、大きなモデルチェンジを余儀なくされたモデルでもありました。