1995年に講談社の「週刊ヤングマガジン」で連載が開始された、しげの秀一先生の永遠の名作「頭文字D」。限りなくリアルなバトル描写や迫真のスピード感。すべてのクルマ好きの夢が詰まったDの世界を色々な方向から徹底解説していきたいと思います。

「もうプアマンズ・ポルシェとは呼ばせない」
セブンの名を世界基準にしたリアルスポーツ

(頭文字Dファンブック©しげの秀一©講談社©モーターマガジン社)

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プロのレーシングチームからドライバーとして誘いが来たとき、涼介は「プロのレーサーなんかに興味ない」と断っている。その理由は「ジムカーナもサーキットを走ることもすべて公道を極めるためのプロセス」であり、「マイナー路線を突っ走る方がオレの性に合ってる」からだが、その涼介が乗っているのはロータリーエンジンのFC3S。レシプロエンジンがメジャー路線だとしたら、ロータリーはマイナー路線、というより、量産モデルとして市販できたのは世界でもマツダのみであるから、オンリーワンの存在である。

レースでの勝敗が販売台数に直結する70年代、無敵を誇ったスカイラインGT-Rをチャンピオンの座から引きずり下ろしたサバンナRX-3の後継モデル、サバンナRX-7。
スポーツカーが排ガス規制により暗黒時代を迎えた70年代末期に存続の危機に立たされていたロータリーは、技術者達の情熱で規制を打破する新技術が生み出され、世界中に愛好家を生むスポーツカーとなりました。

(頭文字Dファンブック©しげの秀一©講談社©モーターマガジン社)

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ピュアスポーツという明快な概念を広く認知させた先代を大きく凌ぐポテンシャルで、85年にFC3Sは登場。FCは量産車では不可能なレベルの装備を施したアンフィニバージョンでファンの熱い期待に応え続けた。拓海とのバトル中、涼介は「オレはロータリーエンジンの血統に脈々と流れ続けているマイナーさゆえの孤高のスピリットが好きなんだ」。その言葉は、今もロータリーに乗っている者が、また、かつてロータリー使いだった者が、常に思っていることに違いない。

FCのデビューから1年にも満たない1986年8月、さらにスポーツ性能を高めた特別仕様車が限定300台で登場しました。それは、フランス語で無限大を表す「∞」=アンフィニ!ゼロヨン:14秒499・
最高速:231.88㎞/h・筑波ラップタイム:1分11秒92と「スポーツカーのロマン」を極めた限定車としてファンの心を魅了し続けたのです。