1982年まで、日本の量産車にはカウリングも低いハンドルも許されていなかった。これらの規制が緩和されたのがレーサーレプリカの誕生を促したのである。そして1983年2月20日SUZUKIから発売された日本のレーサーレプリカ第1号RG250Г。そこから始まったレーサーレプリカブームの軌跡を辿っていきたいと思います。

1980年代の初めまでの日本ではカウリングと低いハンドルが認められなかった。このふたつを採用できないために、ロードレーサーに似た公道用のスーパースポーツ、つまりレーサーレプリカを造れなかったのです。低いハンドル、正しくは、シートに対してどこまでハンドルを下げてよいかという規制は、撤廃ではなく、徐々に緩和されていきました。そしてレーサーレプリカが誕生するのです。

緩和の年月日はこれも不明だが、それまでのスーパースポーツより低いクリップオンハンドルとハーフカウルを装着したスズキRG250Гが1983年2月20日に発売されていることから、最初の規制緩和はハーフカウルと同じく1982年9月だったはずだ。ともあれ、日本のレーサーレプリカ第1号がスズキのRG250Гであるのは間違いない事実である。RG250Гに先立つこと19日、1983年2月1日発売のホンダMVX250Fは、同じ2サイクルでも、スズキの並列2気筒に対して90度V型3気筒という意欲作を搭載しながら、低めとはいえセミアップハンドルとメーターバイザーという仕様だった。
スズキは規制緩和の事前情報をキャッチするやいなや、猛スピードでRG250Гを開発して4メーカーの先陣を切り、大成功を収めたのである。Г登場の翌1984年、4サイクル400㏄のフルカウル付きモデルのホンダCBR400Fエンデュランス、同VF400Fインテグラ、スズキGSX-R、ヤマハFZ400Rが登場。同年から全日本ロードレース選手権で始まったTT-F3(4サイクル400㏄以下または2サイクル250㏄以下の公道用市販モデルの改造車によって競われるレース。フレームも交換できたためワークスの戦いとなった)の人気もあり、250㏄と400㏄のレーサーレプリカ(これは日本での造語)ブームが訪れる。

日本におけるレーサーレプリカブームの火付け役とも言える、1983年に発売されたRB250Гと1984年登場のGSX-R。アルミフレームに高性能なエンジン、そしてカウルを装着しているという共通点を持ったこの2台は、今までの高性能なモデルというだけではなく、ビジュアルもレーサーと酷似しているという点から、多くのライダーの注目を集め、空前のレーサーレプリカブームを巻き起こしていきました。