WRCが安全面を考えて改造度の高いグループBマシンからグループAマシンで競われるようになった同じ頃、ヨーロッパのサーキットでは同じグループA規定に則って改造されたグループAマシンでツーリングカーレースが行われるようになった。その流れを受けて日本でもグループAマシンによる全日本ツーリングカー選手権が1985年に始まった。当初、このレースはプライベーターの最上位カテゴリーといった位置づけで盛り上がったが、有力チームが持ち込む海外メーカーのマシンに国産車が負けるというレースが続くうちに、国内メーカーも真剣になって行くことになる。
(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

日産プリンス栃木スカイライン(’90ダートトライアルCⅢ仕様)

(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

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BNR32、いわゆるR32型スカイラインGT-R誕生の経緯は、グループA規定の改造を施したクルマで競われる全日本ツーリングカー選手権に勝つこと。つまり、あくまでもアスファルトで舗装されたサーキットを考えて開発が行なわれたクルマというわけだ。そのために、サスペンションはキャンバー変化の少ないマルチリンクサスペンション(ダブルウイッシュボーンの変型)を前後に配している。マルチリンクの特長はタイヤが上下した時のアライメント変化を自在にレイアウトできる点だが、タイヤが上下に動ける距離を長くとることができない、という欠点がある。サーキットなどのフラットな路面を走るなら20~30㎜もあれば十分で、ホイールストローク不足というのはまったく問題ない。ところが不整路を走るとなるとストローク不足というのは致命的な欠点となる。というのも、姿勢変化が激しくなったり突き上げが激しく、タイヤの接地性が悪くなり安定してトラクションを路面へと伝えられなくなるし、舵の効きが悪くなるからだ。さらに、突き上げがボディに与える負担も大きい。そんなマイナス要素は百も承知でグラベルステージへ参戦するR32スカイラインGT-Rがいた。そのGT-Rは日産栃木研究所の社内チームが走らせるダートラCクラスのマシンで、しかも好成績を挙げていたのである。

スカイラインを愛する日産栃木のエンジニアたちはさらなるスカイラインの進歩のためにGT-Rを苦手なグラベルへと持ち込みその挙動変化を確かめようとしたのです。そんなトライが生きたのかR33のリアサスペンションは大幅にストロークアップが図られていました。
 ダートラのCクラスは、レースでいえばN2。エンジンのチューニング度は高くサスペンションの改造もグループAに比べれば広く設定されています。とはいえ、GTカーほどの改造は許されていないし外観もほとんど変えることはできません。日産プリンス栃木スカイライン(’90ダートトライアルCⅢ仕様)は、そんなマイナス面を全て改善し、好成績で戦えるまでのGT-Rを作り上げた最高の1台だったのです。