GT-Rを復活させるなら、圧倒的速さでレースを制することが条件だ。その難しさを一番知っているのは日産であろう。慎重にも慎重を期して89年に登場した3代目GT-R、R32スカイラインは、世界規模で行われていたグループA規定でのツーリングカーレース国内デビューウインを合い言葉に開発された。そんなGT-R復活までの戦いの記録を振り返っていこうと思います。

自社製エンジンでHKSが初優勝 (名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

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グループAは、この年で最後を迎えることとなった。エンジン排気量が1.6ℓ以下、2.5ℓ以下、そしてそれ以上という、3つのクラス分けの中で、それぞれ持ち味を生かしたツーリングカーが戦いを繰り広げたグループAに代わり、翌94年からは2ℓエンジンを搭載した4ドアセダンが唯一ツーリングカーレースの主役を務めることになる。600psを超える2.6ℓターボエンジンを搭載するGT-Rの居場所は、そこにはない。

グループA最後の年、そしてこの年以降のツーリングカーレースでは居場所を失う事が決まっているGT-R。そんな最後の年もGT-Rの躍進は留める事を知らなかった。
開幕戦の予選で最速タイムを叩き出したのは、ヨコハマタイヤを履く、高橋国光/土屋圭市コンビのGT-Rでした。しかも、予選タイムでブリヂストンやダンロップを他のメーカーが上回ったのは初めての事だったのです。

(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

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 決勝レースは、先行する星野のカルソニックスカイラインを、先にセカンドドライバーを走らせるという作戦に出た長谷見のユニシアジェックススカイラインがレース後半に逆転してゴールを目前に迎える。長谷見の意表を突いた策が功を奏するかと思われた。だが、レース主催者が周回数を間違えるというミスを犯した。ゴールしたと思いクールダウンに入っていた長谷見を、最後の1周でカルソニックスカイラインの影山正彦が抜き、長谷見は2位に甘んじるという目を疑う結果でシーズンは幕を開けたのだった。

主催者のミスという残念すぎる理由で2位に甘んじる事になった長谷見のユニシアジェックススカイラインは、第2戦、僅差で2位を退けヨコハマタイヤにGT-Rでの初勝利をもたらします。
そして、第3戦、ヨコハマ勢のもう一台、HKSの羽根幸浩と萩原修がポール・トゥ・ウイン!見事、出場していた2台のGT-Rは勝利を掴み、有終の美を飾ったのです。