築地の場内市場の豊洲移転問題は、最終的にどうなるかわからない展開になってきているが、最近僕は月に1-2度は週末のランチを築地でとることを習慣にしている。(昨日もふらりと寄って、海鮮丼を賞味してきた)
近い、ということもあるし、毎週必ずZIIに乗るようにしていて、都内をぐるりと回るそのルーティンの前後にランチをとるのに都合がいい、ということもある。

それにクラシックなZIIはこの築地の雰囲気に似合う。
自動車は無人の自動走行技術やゼロエミッションのEVに注目が集まり、蒸気機関車から現代の電車への変化にも似た、本格的な構造変化の時期が近づいているが(とはいえまだまだ20-30年はかかるのだろうと思うが)、オートバイに関しては、コンピューターによる電子制御こそ当たり前だが自動車ほどの劇的な変化はまだ見えない。

その意味で、ZIIは終の一台として、一生乗り続ける相棒と僕は思っている。ガソリン車が将来禁止される、もしくは選択肢としてありえなくなるのは、ほぼ間違いないとしても、それは僕が生きている時代には起きないだろうし、車のほうは最新技術の恩恵を進んで受け入れようと思う僕にして、モーターサイクルについては昔ながらの鉄の塊の機械を愛し続けていくはずだからである。

最新技術の波にさらされ、時代遅れになったZIIだが、少なくともそのFun to rideの魅力は色褪せない。これからも。

築地市場は開場から80年以上経っており、設備の古さが問題視されてきた。だからこそ豊洲への移転、という話になったわけで、経済効率や機能性の向上、衛生面の改善などの問題を、最新技術によって設計された新しい設備の受入は、時代の流れとしてやむをえないことである。

いま豊洲市場側にいろいろと問題が見つかり始めたこともあって、移転問題は棚上げされている。そして、その状況は、ある意味必然的な時代の流れに抗う郷愁というか、オートバイにせよ車にせよ旧車に対して必要以上に思い入れをしてしまう我々には、ついつい共感を呼ぶものだ。だが、それは感傷的というべきものであり、魚河岸市場という機能の革新のためには、新しい設備とテクノロジーを受け入れなくてはならない、と考える。

そもそも場外市場は築地に残り、観光者を惹きつける魅力は築地に残るのだから、それでよしとして、豊洲市場への移転を取りやめさせるというよりも、発覚し始めたさまざまな問題を早く解決して、移転を実現する方向へと考えるべきだろうと思うのである。

魚河岸丼w。中トロ、赤身、ウニ、いくら、蟹肉の合わせ技。


とはいえ、滅びゆく運命と知りながら時代に抗い、必死に生き残りを求めて闘う姿に共感してしまうことには変わりない。

子供が恐竜好きなのは、その造形というか、怪獣よりリアリティのある奇怪さに惹かれるからだと思うが、大人の恐竜好きにはある意味滅びの美学への憧れというか、ノスタルジックな感傷があるように思う。技術革新や世代交代を受け入れないのではなく、ただ 旧くて頑なな世代が放った残光の美しさに気づいてしまった、そして目を離すことができなくなったということだろう。北極星はいまだに夜空に輝くが、その光は800年も前のものだ。それと知りながら美しさと存在感を感じざるを得ない。変わっていく世界に生きながらも、変わることを拒むその猛りに憧れる、ということは確かにあるのである。