バイク乗りのバイブル『キリン』。
特にデカ尻こと911とキリンのカタナのバトルを描いた第1巻から4巻を、心の拠り所にしている人は多いのではないだろうか。
2016年8月。モーターマガジン社からキリンファンブックが発売されているが、これを機会に改めてキリンの魅力と、なぜ我々がキリンに魅せられ惹かれ、そしてオートバイに心を奪われるのかを考えていこうと思う。

キリン、といえばカタナ を思い浮かべる人は多いだろう。

主人公が駆るスズキ GSX1100S カタナはもう一人の主役と言っていい存在感を放つ名車であるが、この『キリン』がスタートした時点ではすでに時代の頂点の座から滑り落ちており、後続の水冷マルチに太刀打ちできなくなっていた。

カタナと並んで、初期の『キリン』の中で、若さと新しい時代を象徴するのがニンジャ GPZ900Rである。作品中、30代後半となって、既に若者とは呼べない年齢となったことに焦りと苛立ちを感じるキリンに、なにかと 突っかかる無謀で挑戦的な若者の愛車として、GPZ900Rは登場するのである。
かつての最速であるカタナと、数々の過激な走りの逸話を持つ年長者のキリンに対して、若者は激しく敵意と憎悪を燃やす。その若者を疎ましく思いながらも、誰彼構わず牙を剥く若者の若さと、カタナを軽々と置いていくニンジャの速さに羨ましさを覚えざるをえない。そう、キリンは若者とニンジャに嫉妬していたのである。

同時に、キリンに敵意を向ける若者のほうはといえば、実はバイク乗りの自分の延長線上の、はるか彼方の存在としてキリンを見ている。つまり、憧れていたのだ。だからこそキリンに所構わず挑戦したがり、さらには彼の愛車であるカタナを手に入れてまで、キリンに近づこうとするのである。

このように『キリン』とは、バイク乗りとして、年齢を経て、結婚、子供を持つなど、人間社会に生きるための”さまざまな常識”を受け入れていく中で、男(オス)として、バイク乗りとして、過去の自分(『キリン』ではこれを ”十代の煌めき” と呼ぶ)を若気の至りと片付けていくのか、それとも、かつての自分を維持したまま、さらなるはるかかなたの水平線を目指すのか、という根源的かつ哲学的な問いへの回答を自分に迫る、そういう作品だ。

”バイク乗りであり続けること”は、一つの象徴に過ぎない。若かりし時の夢や野心や無鉄砲なまでの挑戦 ”十代の煌めき” を、ある程度の年齢に差し掛かった時に、”大人の常識”や”分別”によって、若気の至りとして、過去の話にすることは、多くの人にとっては簡単かもしれないし、激しく葛藤した挙句に 過去のものとして封印した人もいるだろう。しかし、過去の自分を否定するのではなく、さらにそのさきの水平線を目指す者もまたいるのである。

キリン自身は、最終的にどう自分と決着したのかは実はわからない。ただ、彼は 911へのこだわりと勝負を曖昧なままにすることはせず、とりあえず 一世一代の大勝負へと挑む決心をする。過去のものと封印するか、未来永劫付き合っていくかを決める前に、徹底的にこだわりを貫いてみようとするのである。

キリンのカタナと、若者のニンジャはそうしたキリンの心の葛藤や、時代に抗う男の心中をうまく対比して見せている。その結果、カタナとキリンは、東本先生作品ではなくてはならない象徴的なモーターサイクルとして、我々の心に残ることになったのだ。

スズキ GSX1100S カタナ(逆輸入フルパワー車)
エンジン 1,074cc 空冷4ストロークDOHC直列4気筒
最高出力 111ps/8,500rpm
最大トルク 9.8kg-m/6,500rpm

カワサキ ニンジャ GPZ900R (逆輸入フルパワー車)
エンジン:908cc 水冷4ストロークDOHC4バルブ並列4気筒
最高出力:115ps/9,500 rpm
最大トルク:8.7kg-m/8,500 rpm