世界最高峰の戦いを演じたライダーたち。その中でも目映いばかりの光を放ち、僕たちを魅了して止まなかった伝説のライダーがいる。ここでは、そんなレジェンド・ライダーと世界で活躍した日本人ライダーに焦点を当ててその栄光の軌跡を辿っていきたいと思います。
(Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016©モーターマガジン社)

近代GPでは唯一の500&250ダブルチャンプ

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スペンサーがアメリカ国内のスーパーバイクレースなどで頭角を表し、USホンダと契約を結んだのが80年。翌81年、当時世界GPへホンダが投入していた4ストマシン・NR500でイギリスGPへ参戦。2スト勢相手にポイント獲得も難しかったNRで、5位まで浮上する果敢な走りを見せた。結局リタイアはしたものの、このレースがフレディのポテンシャルをホンダに強く印象づけたのだった。その結果として翌82年、ホンダがNRに代わって開発した2ストの新型マシン・NS500がフレディに与えられ、待望の世界GPフル参戦が実現する。誰よりも早く深くマシンをバンクさせ、なおかつ早くスロットル全開、前後輪ドリフトで立ち上がるという独特なライディングスタイルもNSにマッチし、フレディの世界GPにおける快進撃が始まることになる。

前年にスポット参戦で世界GPは経験しているものの、フル参戦1年目で2勝を挙げ、ランキング3位
という凄まじい実力を発揮し、世界中に名を知らしめたスペンサーは、83年、ケニー・ロバーツとの伝説的なバトルを制して、21歳8ヵ月という、当時史上最年少でチャンピオンの座を掴みました。

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そして、’85年。80年代以降の世界GPでは前例のない、500㏄・250㏄両クラスへのWエントリーでシーズンに挑みました。そして、500㏄クラスではエディ・ローソン、250㏄クラスではアントン・マンクという誰もが認めるトップライダー達を抑えてのダブルタイトルを獲得したのです。

WGP・鈴鹿8耐成績

【WGP】
1980 WGP500  YAMAHA YZR500  ノーポイント
1981 WGP500  HONDA NR500   ノーポイント
1982 WGP500  HONDA NS500   3 位
1983 WGP500 HONDA NS500   チャンピオン
1984 WGP500 HONDA NSR500(NS500) 4 位
1985 WGP250 HONDA RS250RW チャンピオン
1985 WGP500 HONDA NSR500   チャンピオン
1986 WGP500 HONDA NSR500   ノーポイント
1987 WGP500 HONDA NSR500   20 位
1989 WGP500 YAMAHA YZR500 16 位
1993 WGP500 YAMAHA YZR500  37 位
【8耐】
1980 HONDA RS1000  リタイア(B・フェラーリ ペア)
1992 HONDA RVF750   4 位(鶴田竜二ペア)

多くの人の心に感動と衝撃を与えたフレディ・スペンサーのWタイトル。スペンサーは、コーナー終盤の立ち上がり加速を重視するライディングスタイルを特徴とし、ファーストラップから驚異的なタイムで、2位以下に大差をつけての独走優勝というレース展開で多くのファンを魅了し続けました。
しかし1986年の世界GP開幕戦・スペインGPの決勝レース中に右腕に故障を負い、リタイア。その故障がそれ以降の彼のレースに影響し、引退発表、撤回を繰り返し、現役続行への意欲を見せるも、残念ながら引退を余儀なくされてしまいます。