GT-Rを復活させるなら、圧倒的速さでレースを制することが条件だ。その難しさを一番知っているのは日産であろう。慎重にも慎重を期して89年に登場した3代目GT-R、R32スカイラインは、世界規模で行われていたグループA規定でのツーリングカーレース国内デビューウインを合い言葉に開発された。そんなGT-R復活までの戦いの記録を振り返っていこうと思います。

強いGT-Rの復活で人気レースに急成長する
(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

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73年に、2代目GT-Rがたった197台を4カ月生産したのみで生産中止のやむなきに至った後、GT-R復活までには16年の長い年月を経なければならなかった。GT-Rのようなクルマが一時的とはいえ姿を消した背景には、自動車の排出ガスによる大気汚染という公害問題解決の難題が控えていた。
しかし日本の自動車メーカーは世界に先駆け、70年代が終わる前に排出ガス浄化対策に目途をつけると、再びパワー競争を始めた。日産からは、81年のR30スカイラインで待ち兼ねたようにDOHC4バルブエンジンを搭載したRSが登場。87年にはR31スカイラインにGTS-Rを加えた。だが、それでもなお、GT-R復活の産声はじれったいほど聞こえてこないのであった。

(名車の記憶 日産スカイラインGT-R I 【BNR32編】©モーターマガジン社)

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慎重にも慎重を期して89年に登場した3代目GT-R、R32スカイラインは、世界規模で行われていたグループA規定でのツーリングカーレースでの、国内デビューウインを合い言葉に開発を進められ、90年3月、星野一義/鈴木利男ペアのドライブするカルソニックスカイラインとして、ポール・トゥ・ウイン!!、同じくGT-Rのリーボックスカイラインさえ1周遅れにする完璧なレースを展開し、復活初戦で堂々の優勝を果たした。そしてここから、復活を遂げたGT-Rによる29連勝の歴史が始まるのです。