世界最高峰の戦いを演じたライダーたち。その中でも目映いばかりの光を放ち、僕たちを魅了して止まなかった伝説のライダーがいる。ここでは、そんなレジェンド・ライダーと世界で活躍した日本人ライダーに焦点を当ててその栄光の軌跡を辿りたい。 (Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016©モーターマガジン社)

「KING」の愛称が示す圧倒的な強さと史上最高の華麗さ

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世界GPで70年代後半から80年代前半に見せた圧倒的な速さ・強さから、「キング・ケニー」と呼ばれた偉大なライダーであるケニー・ロバーツ。しかしそのレースキャリアは、世界GPに関して言えば意外に少ない。デビューこそ1974年だが、この時は250ccクラスへのスポット参戦で、フル参戦したのは
1978〜1983年の6シーズンの500ccクラス。78年に250ccクラスへ何戦かダブルエントリーした分を合わせても合計60レースしかないのだ。これはケニーが70年代前半はアメリカ国内を主戦場としていたためで、1973年にはその最高峰であるAMAグランドナショナル選手権を最年少の21歳で制覇し、さらに翌年にもタイトルを獲得。類まれなる才能に加え、ロードレースだけでなくダートトラックも含まれるAMAで豊富な経験を積んだ上で、満を持して78年からの世界挑戦だったわけだ。

AMAで鍛え抜かれた独特のハングオフスタイルでヤマハYZR500を駆り、5 勝を挙げてGP本格デ
ビュー初年度にいきなりタイトルを獲得!
そのままの勢いで、79 ・80年と3連覇を達成します。

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彼の数々の語り継がれるレースの中で、特に有名な激戦は現役最後の年である83年シーズン。ホンダNS500を駆る同じくアメリカ出身の、フレディ・スペンサーとの間で繰り広げられたチャンピオン争いではないでしょうか。

全12戦で勝利数は6対6の引き分け。しかし僅か2ポイント差でタイトルはフレディに攫われてしまったという、ガチンコバトルは、一戦たりとも目が離せない戦いでした。

WGP成績

1974 WGP250 YAMAHA TZ250 19 位
1978 WGP250 YAMAHA TZ250 4 位
1978 WGP500 YAMAHA YZR500 チャンピオン
1979 WGP500 YAMAHA YZR500 チャンピオン
1980 WGP500 YAMAHA YZR500 チャンピオン
1981 WGP500 YAMAHA YZR500 3 位
1982 WGP500 YAMAHA YZR500 4 位
1983 WGP500 YAMAHA YZR500 2 位

6年間という長い様で短いWGP最高峰クラスでの戦いで、多くのレースファンの心に深く存在感を焼き付けた伝説のライダーケニー・ロバーツ!現役引退後は監督としてチームロバーツを率い、W・レイニーとJ・コシンスキーを世界チャンピオンに育て上げるなど、ロードレース界に貢献し続け、現在でも、2015年のMotoGP日本グランプリにゲスト出演するなどの活動を続けています。