©東本昌平先生・モーターマガジン社
友人が病に倒れ、葬儀に向かった私は、彼の愛娘が「お父さんのバイク、私が乗る」と笑顔で言ったとき、嬉しくもあったが素直に「それがいい」と答えることができなかった。バイクに乗るかどうかは結局本人次第であって、ぜひ乗るべきだなどとは口が裂けても言えなかったからだ。
『RIDE The Rituals』(©東本昌平先生・モーターマガジン社)より
『RIDE The Rituals』(©東本昌平先生・モーターマガジン社)より
しかし、結果的に彼女が正しいバイクとの付き合い方ができなかったとしたら??
乗るのも自由、乗らないのも自由、自分次第。私たちはそう教わってきたが、いまの若者には、もしかしたら私たちはもっと積極的に導いてあげるべきなのではなかったろうか。
オートバイと向き合う形も方法も、昔と今では違っているのかもしれない。
バイク仲間だった友人の突然の訃報に、昔からの仲間が駆けつけた。
五十歳も近いというのに、いまだにバイクに乗っている者も多かった。
彼の娘は屈託無い笑顔で、彼の遺品となったバイクを我々に見せてくれた。
それはあのときのままのKawasaki ZZ-R1100だった。
彼女は父親のバイクを引っ張り出し、自分がこれに乗るという。しかし我々は素直に頷けなかった。
それから数年たったある日、突然会社に彼女が事故を起こしたという連絡が入る。
駆けつけた私は、手足を骨折しているものの元気そうな彼女を見て思わず怒鳴りつけてしまうのだ。
聞くと免許をとってもいないのに男友達とZZ-Rを動かし、そして事故ったという。
バイクに乗りたい。そういう者に、私は積極的に手を伸ばすべきだったのか。
そうだ。今からでも遅くない。私は彼女を導き、バイクを楽しむ方法を教えていくことに決めた。
「私」は彼女とバイクの良き導き手として、彼女たちと関わることを決意したが、
みなさんならどうだろうか。