<story> 1999年、チェチェンに暮らす9歳のハジは、両親を銃殺されたショックで声を失ってしまう。姉も殺されたと思い、まだ赤ん坊の弟を見知らぬ人の家の前に捨て、一人放浪するハジ。彼のような子供さえも、ロシア軍は容赦なく攻撃していた。
ロシア軍から逃げ、街へたどり着いたハジは、フランスから調査に来たEU職員のキャロルに拾われる。自分の手では何も世界を変えられないと知ったキャロルは、せめて目の前の小さな命を守りたいと願い始める。
ハジがどうしても伝えたかったこととは? 生き別れた姉弟と再び会うことができるのか──?
オフィシャルサイト より)

第二次チェチェン紛争に翻弄される人間模様

本作が描くのは、1999年に勃発した第二次チェチェン紛争が引き起こした、さまざまな悲劇だ。1999年といえば、20年も経っていない。十分すぎるほど年を重ねた身からすれば、ほんの最近、である。
(この紛争について、ここでは政治的なコメントはしない)

第二次チェチェン紛争(だいにじチェチェンふんそう)は、チェチェン独立派勢力(チェチェン・イチケリア共和国等)と、ロシア人及びロシア連邦への残留を希望するチェチェン共和国のチェチェン人勢力との間で発生した紛争であり、1999年に勃発した。2009年4月16日に国家対テロ委員会は独立派の掃討が完了したとして対テロ作戦地域からの除外を発表、10年の長きにわたった紛争は終結した。

主人公は、侵攻してきたロシア兵に両親を目の前で殺されたショックで、声を失ってしまうチェチェンの少年ハジだ。そしてハジに救いの手を差し伸べるも、過酷な現実に無力感を募らせるEU職員でフランス女性キャロル、ロシア軍に強制入隊させられ、徐々に人間性を失っていく青年ニコライの三人を軸に、物語は進む。

紛争の当事者であるロシア側に属するニコライと、為すすべなく人生を狂わされてしまったチェチェンの少年ハジ。その間にいて、悪意や憎悪の嵐の中で平和を望みながらも絶望せざるを得ない、(中立の立場である)EU職員のキャロル。三人の視点は三者三様だが、なぜ自分たちがそうした悲劇の中で苦しんでいるのかは、よく分かっていない。

ロシア人はチェチェン人たちを容赦なく殺し、奪うが、その理由を深く考えることはやめてしまっている。チェチェン人たちはロシア人がなぜ攻めてきたのかをよく分かっていないが、彼らに愛する家族や友人を奪われて憎悪を募らせていく。そして世界はロシアとチェチェンの対立を憂いこそすれ止めることができずにいるのである。

初めこそ、自分に向けられた親切や情愛を信じることができなかったハジだが、キャロルの部屋で暮らすにつれ、は徐々に笑顔を取り戻し始め、やがて声を発するようになる。

生き別れとなった姉や弟と再会できる日は来るのか?そしてキャロルはハジの救うことができるのか?人を殺すことをなんとも思わなくなっていくニコライと、ハジ、キャロルの運命はどのように絡んでいくのか・・。

”現代の”日本に生まれた幸運をつくづく有難く感じる作品

本作を涙なしにみることはなかなかに難しい。

人間はなぜここまで非道な振る舞いをできるのだろうかという憤りを感じざるを得ないし、どこにでもいる普通の青年ニコライが、残虐な行為をためらいなく行えるようになる過程をみれば、彼に同情する人もいるだろう。
キャロルの目線でみれば、不条理で狂おしい世界に失望しつつ、一種の代償行為として目の前にいる不幸な少年に愛情を注ぐようになるのも当然のように思う。

本作の結末は、ハッピーエンドでもあり、不条理の世界が不完全なまま結実する矛盾に考えさせられることでもある。

日本人に生まれたことを感謝せざるを得ない作品だが、同時に わずか 70年前にはハジと同じ、そしてニコライと同じ境遇に自分たちがいたかもしれない、という事実に 慄然とするのも本当の気持ちである。

あの日の声を探して 本予告

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