東本昌平先生監修のモーターサイクルムックマガジン『RIDE73』はCB大特集。そして、今回ご紹介するのは、<CB750FOUR>。750フォアの衝撃を、もう一度。

後世のビッグバイクに多大な影響を与えた世界初の4気筒量産車

「打倒トライアンフ」を念頭において開発されたCB450だが、主眼であった北米市場では目標を達成することはできなかった。その理由は簡単に言えば「使用環境の違い」ということになる。CB450の43馬力という最高出力は、トライアンフを筆頭とする英国車勢と比較して決して遜色のあるものではなかった。

だが英車勢より3割ほど少ない排気量でその数値を得た結果、エンジンは高回転高出力型となり、この特性はライダーに対して頻繁なギアチェンジを要求したのである。

ヨーロッパではそれが受け入れられた。ライダーがテクニックを駆使できるようなオートバイ、ある種ステイタス的な存在として認められていったのである。
さらにプロダクションレースでの活躍もあって(古典的なOHVツインを数多く抱えていた英国では、DOHCだからという理由で一時はレースから締め出されたが)、同地のCB450に対する評価は、「潜在能力は市販レーサーCR並み」とまで高まり、各地でフラットハンドルに換装したCB450が全開で走り抜けていく姿を見ることができた。

だが北米ではそうはいかなかった。トライアンフ650と一緒に走るなら、CB450のライダーはトラの倍以上のギアチェンジをしないとついていけない…と、マイナス要素的にみられてしまったのである。
Vツインのハーレー、また4輪のV8大排気量車をみればわかるように、多くのアメリカ人は全開性能よりも常用域のトルクを重視する。
ホンダがCR/RCレーサーで追求した高回転高出力型特性は、アメリカにはなじまなかったのだ。

当然のごとくアメリカンホンダはさらなる大型車を要求。渡米して調査を行った日本のR&Dとの間で協議が行われ、650~750ccの大型車を製作することが決定した。
2気筒ではなく4気筒が選択されたのは、世界GPを数々の多気筒で戦ってきたホンダらしさをアピールするためだった。ただしCB450で採用されたDOHCは、シリンダーヘッドが大きくなりすぎるという理由で却下された。

©モーターマガジン社

67年に始まった開発は急ピッチで進み、68年には試作車が完成、「CB750フォア」の名で世界に公開される。そしてその反響はホンダの予想をはるかに上回るものだった。
CB750フォア以外の4気筒といえば、当時においては、MV600、ミュンヒ・マンモスがあったし、過去を振り返れば、アリエル・スクエア4や直列4気筒のインディアンなどが存在した。

だが、本当の意味での量産車と呼べる4気筒車はCB750フォアが世界初であり、未曾有のヒットモデルとなったのは当然と言えた。

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当初600台と予定されていた月産計画は、すぐさま3000台に急上昇。CB750フォアはホンダの念願だった北米制覇のみならず、世界の大型車市場を完全に制したのである。
日本での価格はCB450の約1.5倍となる38万5000円だったが、ホンダはこのころから長期ローンを導入。「ナナハンライダー」が各地で見られるようになったのである。

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CB750フォアの内部に迫る

初めて見た人々に衝撃を与えたCB750フォアは、RCレーサーとも4輪のSとも異なる、独特のアイディアを満載した並列4気筒。それは昨今の高性能エンジンを見慣れた目にはかえって新鮮に見えるものだった。

『RIDE73』では、CB750フォアの徹底解説、そして、65年型MV600・72年型カワサキZ1の2台の並列4気筒とCB750フォアを比較など、かなり濃い内容となっている。

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ぜひお手に取ってみてはいかがだろうか。