ヤマハをスポーツの代名詞に押し上げた名機RZは、逆にYAMAHA=2ストローク、という印象を強め、ヤマハは HONDAのCB、カワサキのZ、SUZUKIのGSXに対抗する冠を用意する必要に迫られていた。
4ストロークのYAMAHA、を印象付けたFZ
そこでヤマハが作り出したのがFZ、というブランドだった。1984年のケルンショーでお目見えしたFZ750は、新世紀を意味する 「ジェネシス」 のペットネームが与えられ、1気筒あたり吸入3本、排気2本の5バルブを採用し、シリンダーを45度前傾させることで吸気のストレート化と低重心化を実現。
高速ツアラー的なデザインだが、スポーツライディングも得意で、86年のAMAスーパーバイク・デイトナ200マイルレースでは、のちにGPチャンピオンとなるエディ・ローソンのライディングで優勝を果たした。
シルキー・シックスならぬシルキー・ファイブ
FZ750の5バルブの開発にあたっては、6バルブ、7バルブも試されての結論だった。
結果として、FZは鈴鹿8時間耐久、そしてAMA(AMAスーパーバイク選手権。AMA=全米モーターサイクル協会が主催するロードレース全米選手権)、WSB(スーパーバイク世界選手権。SBKとも)など、レーシングエンジンとしても活躍したが、本来のキャラクターとしては「4スト750の排気量でのツアラー」としての扱い易さを求めていたという。
事実、FZが登場した時代はレプリカブームであったが、その外観デザインはレーシーなものではなかったし、その乗り味も一気に吹け上がるというよりは、BMWの6気筒エンジンのシルキー・シックスならぬ「シルキー・ファイブ」といっていい滑らか かつ心地よい加速感を味わえるバイクであった。