1980年のドイツ・ケルンショー。
黒山の人だかりの中心に「異形」があった。それが、スズキが新時代を築いたカタナ。オートバイに、デザインという概念を持ち込んだ異端児は姿かたちを変えずに20年間、生き続けた。

撮影:堤 晋一 / 原文:中村浩史
©東本昌平先生 / モーターマガジン社

私がカタナを選んだわけ〜東本昌平

バイク漫画の金字塔『キリン』。主人公の男は中年にさしかかった38歳。
デカ尻ことポルシェ911とのバトルに、彼が愛機として選んだのはSUZUKI GSX1100S KATANA。そう、1980年に突如登場した異形のバイク、カタナだった。

SUZUKI GSX-1100S KATANA
ドイツ人デザイナー、ハンス・ムートが日本刀をモチーフにデザインしたという斬新なスタイルで登場。持ち前の動力性能にエキサイティングなデザインのカタナは世界中で好セールスを記録し、正式発売のない日本には逆輸入車として上陸。逆輸入という言葉を一般的にした。
・空冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒・1075cc・111PS/8500rpm・9.8kg-m/6500rpm・232kg・3.50-19/4.50-17・輸入車

東本昌平先生は言う。「漫画家駆け出しの頃で、原稿料なんて入るかどうかも分からないのに『なんとかなるだろ』って感じで、その頃の収入が月に9万円しかないのに7万円のローンを組んで(カタナの逆輸入車である)1100を買っちゃいました」。

東本先生がカタナを買ったときには、すでにカワサキニンジャGPZ900Rが登場しており、すでにカタナは最速のバイクではなかった。事実、彼がメーターの針を振り切る速度で走っている時に、ニンジャにぶち抜かれたことがある。

その時の経験。おいて行かれた者のもどかしさ。その気分がキリンの愛機として、カタナを選ぶ理由になったのだという。

バイクは乗り手次第で速く走れる。しかし、それまで最速だったバイクが時代に取り残されていく。それは、若者だった自分が気がつくと中年になっていた、という誰もが辿るであろう、哀しくも切ない事実を思い起こさせる。
だからこそ、キリンはカタナでなければならなかった・・・東本先生はそう説明するのである。

超えるもの、未だなし。生まれ出でたる異端児。

「性能はいいけどダサい、性能はいいけど、華がない」
ジャーナリストや代理店から寄せられた、そんな評価に甘んじていたスズキが、今に見ていろとばかりにリリースしたバイク。それがカタナだった。

1970年代の終わり頃、ドイツスズキを設立するタイミングで、スズキはハンスムート率いるターゲットデザイン社を出会う。スズキに依頼されたターゲットデザイン社の工業デザイナーたちが、作り出したモックアップこそには、戦闘機の精悍さに加えて、日本刀のイメージが重ね合わせられていた。このモックアップこそが、のちのカタナとなったのだ。

最速のバイクとして衝撃の登場を果たしたカタナだが、性能そのものはあっというまに後続の最新鋭バイクたちに追い抜かれた。しかし、そのスタイリングの斬新さはいまだに多くのライダーの心を掴んで離さない。

ユニコーン・ジャパン製のカスタム・コンプリートカタナ。

k-unicorn.com

上の画像は、カタナチューンで知られるユニコーン・ジャパンの「ヘリテイジモデル」と呼ばれるコンプリートカスタム車だ。
写真の車両は2008年当時のものだが、ユニコーン・ジャパンではいまだにカタナのコンプリートモデルを販売している。

もしあなたがいま、この異端のバイクを愛車として選びたいというのであれば、相談してみるのもいいだろう。