「再び神話を創れるか」平成元年...1989年6月1日に発行されたモーターマガジン誌は、 復活した「GT-R」の大特集をこんなキャッチでスタートしている。 その革新的ハードウエアは、理論上のスペックだけでも十分に衝撃的だった。やがてその衝撃は現実体験となるのだが... 創り出された神話は、想像を遙かに超えていた。
この連載では、モーターマガジン社全面協力の元、同社出版誌である【名車の記憶】より日産スカイラインGT-R の歴史を振り返り、紹介をしていきます!
国産車にとってはひとつの壁とされた 1分10秒台に挑んだGT‐R。衝撃のパフォーマンスとともにデビューしたBNR32に新たなライバルが出現!
いよいよ後編!1989年筑波サーキットGT-Rストーリーをご紹介したいと思います!
厚かったポルシェの壁 (名車の記憶 日産スカイラインGT-R I@モーターマガジン社)
GT‐R、こいつの手応えは、今回のテストに先立って行なわれた菅生の試乗会でつかんでいた。そして944ターボ。これが抜群の速さと質の高い走りを持つことは、自動車各誌が認めている。どちらが最速であっても、なんの不思議はない。まずはGT‐R。そのRBDETTユニットは、一言で言って高回転を好むタイプだ。 これは、ピットロードを駆け上がるだけでもハッキリと理解できたことだが、リミットの8000rpmまで実にリニアなフィールで吹け上がっていく。豪快なビートとともにグーンと盛り上がるパワー感は、それだけでレーシーな走りをイメージさせてくれる。
絶対トルクでは、たとえば排気量に勝るフェアレディZ300ZXのVG DETTにかなわない。しかし、サーキットでなによりもモノを言うトップエンドの切れ味が、それを問題としない。要するにGT‐Rの走りは、RB DETTの持ち味を生かし切る方向に収斂しているということなのだ。 その走りは、まさにイージーゴーイング。イメージしたコーナリングラインの中でブレーキング、舵、スロットルオンという、コーナリングを構成する3つの要素が可能な限り詰められていく。考えることは、いかに長くスロットルを踏み続けていられるか…ということのみである。
しかし、それだけでベストラップをたたき出せると思ったのは、少々甘かったようである。1分10秒93という予想外のラップタイム(実は9秒台を狙っていた)と自分の走りを照らし合わせてみてわかったのだがGT‐Rはある走りのイメージをベ ースにセッティングされているようだ。コンピュータで制御される制動(4WAS※)、操舵(スーパーHICAS)、駆動(アテーサE‐TS)の各システムは、すべてのイメージに合わせられているのである。 具体的に僕が誤ったのは、駆動の部分。フロントヘビーなGT‐Rはトラクション重視の走りをするとアンダーの傾向が出やすい。僕は本能的に、これをスロットルでコントロールしてしまったのだが、これが間違い。正解は、舵がきく範囲ならスロットルオンのままステアリングを切り足す、だったようだ。では944ターボは? ―結論から言ってしまうと、苦戦するGT‐ Rを尻目に1分10秒83のベストタイムを3ラップ目ですんなりマーク。 コンマ1秒とはいえ、パワー、比出力に勝るGT‐Rを退けてしまった。 ※4WASは現在のABSにあたる
944ターボの走りは「とにかくバランスがいい」の一言につきる。リミットは6400rpmと思いの外低いが、4000rpmから一気に吹け上がるパワー感が痛快そのもの。弱アンダーからパワーオーバーまで、ハンドリングも自由自在である。リア・トランスアクスルがもたらす、素直で自然な操縦感覚には正直いって脱帽させられた。クルマが基本レイアウトで決まることを、944ターボが教えてくれたような気がした。 (MM1989年11月号より抜粋)
このタイムアタックでは惜しくも、 コンマ1秒差でポルシェ944ターボの後塵を拝してしまったBNR32型GT‐R。だがこの時、比較用に持ち込んだフェアレディZ300Z Xが1分11秒60に終わったことを考えれば、国産車としての圧倒的パフォーマンスの片鱗を十分に見せつけたと言えるだろう。 その本領は、ホリデーオート誌のテストでも発揮される。 文◎伏木悦郎 写真◎村西一海