東本昌平先生監修のモーターサイクルムックマガジン『RIDE7』では、「ファースト・フレディと呼ばれて」というタイトルで、83年に21歳8ヶ月で史上最年少GP500チャンピオンとなったアメリカ出身のフレディ・スペンサーの特集(文・中村浩史さま)が掲載されている。その中でも印象的な、ケニー・ロバーツとの「83年の激闘」をピックアップする。

キング・ケニーとそれに憧れたフレディ

ヨーロッパのレースでしかなかった世界GPに、単身アメリカから乗り込んだケニー・ロバーツ。すでに74年にスポット参戦の経験があったとはいえ、ケニーは実質WGPデビューレースとなる78年の開幕戦を、マシントラブルによってリタイヤ、第2戦ではキャブレーショントラブルで惜しくも優勝を逃して第2位となる。しかし、第3戦からは破竹の3連勝と波に乗り、この年、デビューイヤーにして500ccチャンピオンを獲得してしまう。
そして、WGPで活躍するケニーに憧れるアメリカの少年がまたひとり、GP挑戦をスタートさせようとしていた。それが、フレディ・スペンサーだった。
フレディは、80年にアメリカンホンダワークスに迎えられ、AMAスーパーバイクに参戦。82年にデイトナに優勝し、そのシーズンからGPフルエントリーを開始する。そして今も語り継がれる「激闘の83年シーズン」を迎える。

激闘の83年

83年、まずはフレディの3連勝でシーズンが開幕。対するケニーは、2位、4位、リタイヤと、マシントラブルや好調の波に乗れず、第4戦でようやく優勝。第5戦はフレディ、第6戦はケニーが勝ち、第7戦をフレディに譲ったケニーが第8戦から3連勝。全12戦で行われたシリーズで、第11戦を迎え、優勝したフレディが6勝/132ポイント、ケニーが5勝/127ポイントで最終戦を迎えることになった。この時点でチャンピオン獲得のためには、ケニーが優勝し、その上でフレディを3位以下に抑え込まなければならなかった。
そして迎えた最終戦・サンマリノGP。先行するフレディをかわしてトップに浮上したケニーは、その後何度もトップの座を入れ替えながらフレディをバトルを展開する。

ゼッケン4がケニー、ゼッケン3がフレディ。/ ©モーターマガジン社

結局、まったく互角の成績の二人だったが、表彰台を逃したレースの順位により、わずか2ポイント差でフレディが史上最年少のワールドチャンピオンを獲得。GP史上最高の激闘といわれたシーズンが終わったのである。

キング・ケニー(左)とプリンス・フレディ(右)と称された二人。

同時にそれは、『ヨーロッパ選手権』とキングが揶揄してきたレースが、真の世界グランプリへと変化しはじめる節目でもあったのだ。

写真のフレディのマシンは、81年型CB750Fスーパーバイク仕様。カラーリングはこの年に発売されたCB900Fのグラフィックを採用した。/©モーターマガジン社

胸をときめかせる"ヒーロー"

©東本先生/モーターマガジン社

特集の冒頭にはこうある。

元気が無いなぁ、とふと感じるバイクの世界。
いつからだろう。あの当時は都心から峠、あらゆる所にバイクが溢れていた。
そう、ヒーローがいないんだな。
胸をときめかせてくれる奴が不在だ。
振り返ってばかりいても仕方がないが、この男(フレディ)は間違いなくヒーローだった!

83年の"ヒーロー"フレディと、ヒーロー自身が憧れた男・ケニー。この二人はライバルでありながらもお互いを高め合うことができる、素晴らしい関係であったのだろう。

そんな熱い時代の男たちの軌跡を、RIDE7で思い返してほしい。